なるようになる夏と旅 Part1〜倉敷のまろやかな猛暑

親友Kさんが徳島に移住した。
今年の夏休みは、彼女を訪ねる旅を計画した。移住するのだからいつでも構わないし
このさき、きっと何度も遊びに行くことになるだろうなと思っているのだけど
もらった観光パンフレットの大歩危小歩危大自然のうつくしさに、今すぐにでも!
とはげしく思ったわたしとUちゃんは、さっさと夏休みの申請をしたのだった。
いつもなら仕事の様子を見るけれど、今年はもう会社をやめる気満々なので、ためらいは皆無だ。
お互いに。わたしたちはひそやかに転機にいて、これからどこでなにをして暮らしていくかを
ゆっくりと考えている。
Kさんの移住のことは、わたしはほんとうにうれしくうらやましく思っている。
いいなあ、こんなにすんなりと、自分の住処を決められた。
自分が気持ちよく、生きやすい場所をさがす。
東京にいた、いまは東京を離れた。わたしの親友にはそういう人たちが多くいる。
それを自分ごとにすればいい、という動く勇気を、わたしは今はKさんに与えてもらっていた。
別れのさびしさや孤独はつきまとうとしても。Kさんの移住のことはほんとうに晴れやかな気分だった。
(それでも、明日発つという電話を切った後にはわあっと涙がでたけれど。思い出話なんかするからだ。)
この旅はそんなわけで、すばらしい観光と、生きやすい場所をめぐる旅になった。


旅のはじめ、はりきって早起き。
徳島に行く前に、乗り換え駅の岡山で途中下車をして、すこし散歩をすることにした。
ついでのつもりでも、好みの城下町だし、倉敷はちょっと見てみたかった。


新幹線を降りた岡山の駅のあたりはきちんと都市だ。
感じよく駅のまわりにいろいろとまとまっていて、不便のない様子の。過剰じゃなくちょうどよい具合の。
そのさきはひろく住宅が広がっていて、とそれしか見えないけれど、空が広いのが大切だ。
通りしなに眺めていた西日本の都市は、ずっと空が広く続いている。駅を中心に凸形になっている。
名古屋は新旧共存ごった煮な感じ、京都はなだらかで古い感じ、大阪は整頓された旧未来都市、神戸はまっすぐ先に海。
岡山は、まろやかな感じ。
倉敷へ行くには電車の乗り換えが必要だというのは行ってはじめて知った。


倉敷の駅は、岡山にくらべるとだいぶもっさりしている。おもいきり観光拠点だろうに、とても意外だ。
たくさんの東京人が旅情をもって倉敷に向かい、きっとこの古い(じつにまろやかな)駅の様子に拍子抜けしそう。
場所がわからないので駅からバスに乗ったけれど、この「美観地区」ゆきバスは一時間に1〜2本しかない。
観光!サービス!町おこし!という思いも、たいへんまろやかだ。

行ってみると、その美観地区はとてもきれいだった。わたしはうっすらと、人工的な懐古風情を危惧していたけれど
まったくそうでなかった。ただ古くからの場所をとてもきれいに保っている、美観地区。
その町並みはまるで金沢のような造形なのに、そう感じないのでこれはどういうことかな〜とお散歩する。
歴史ある…歴史にじみでる感じというのが、とくにないんだなあ。Uちゃんはまえに来たことがあって、そのときは
誰も人がいなくてまるでマグリットの絵みたいだったよ、という。その感じはとても正しくて、この町並みはいつの
ことで、今はいつで、ええとここはなんだっけ?と、時間軸の境目がよく捉えられないのだ。
まろやかに境界がなくなっていて、それは歴史をとくに強く押し出さない土地のありようから成っている気がした。
真夏日の昼、強烈な日差しのコントラストのもとそう思ったのだから、このまろやかさはそうとうなものだ、と思った。

大原美術館も行きたかったけれど時間がなく、そばの喫茶エル・グレコに入る。
ここはとてもとても古い建物で、壁一面の蔦に昭和初期の建物、とてもすてきな店だった。
白く明るく、アトリエみたいに天井が高い。ドアがふるい。一角に骨董とか古いアクセサリーを展示して売っている。
豊かでおしゃれでアートの根付くカフェなのに、お店のひとは近所のおばちゃん達といった様子で、身近な感じだ。
うちの母さんが働いていても違和感ない。すてきだ。
倉敷に行くひとはぜひ寄ってほしいなあと思う、いいお店だった。


夜に徳島の阿波池田に着き、Kさんに再会する。
彼女の変わらなさはのびのびと、まだ移住したばかりの慌しさとともにそこにあって、笑ってしまう。
もうすでに暗く閉まっている商店街、ぽつぽつ灯る居酒屋のひとつに入り、お酒とごはんをたべた。
圧倒的に山があり、裾にある街。都市の利便とはかけ離れた、街灯もままならない田舎町。
倉敷といいここといい、なんだかおもしろいところに来てしまった。
宿もうまく取っていなかったけれど、(おもしろく)なるようになったのだった。
つづく。

働きながら学ぶ人たち

電車でシャーペン片手に参考書を読んでいると、となりの席の人も勉強してた。
きょうは偶然にも、行きも帰りもそうだった。女性と男性、どちらもたぶん私と同年代。
女性は英語で、男性は政治経済。
女性は問題集に書き込んで、かがむみたいな姿勢で熱心に。
男性はお手製の単語帳で、政治ワードを色ペンで書いて、赤いしたじきで隠して暗記してた。
お昼休み、喫茶店で問題集をやっていると、ipodを片手にたぶんヒアリングして、
ノートに一生懸命書いている男性をみかけた。
あの人は英語かな?通りがかりにちらと見たら、ハングルだった。


いろいろな人が、働きながら、けっこう夢中で勉強しているものだなあ…とこのごろよく気がつく。
それぞれ、きっとなにか強いきっかけがあって学んでいるんだろうな、と思うとおもしろい。
わたしは受験だけど、仕事で、旅行で、出張で、単純に好きで、移住をかんがえていて、それに恋ってのもある。
ともあれ、こういうすきまの時間で勉強している社会人をみかけると、かってにうれしくなる。


このごろ、英語学習にハマるおとなの気持ちがわかってきた。
毎日英文を読んでいると、英語ってパズルみたい。
言葉の配列が日本語とまるで違うのがすごく面白くて、その並べ替えられたことばを、読みながら
たりないピースを探す。
はじめに誰がどうしたを言うから、I think〜 とかいえば「なにを考えてるのかな?」と気になるし
I like〜 ってなにが好きなの?と、そのあとを読み解くのがちょっと推理小説の感覚に近いかも。
ながながと修飾がほどこされている英文も、はじめはほんとに混乱したけど
わかれば簡単なことで、謎がスッキリとける感は、数学が解けた爽快感とも似ている。
頭の体操をするなら、英文を読めばいいと思うなあ。


ストレスがたまっても、帰りに英語をやるとすごく気分が転換する。
なんだか、なにをかなしんでたのか忘れちゃう。たぶん脳のどこか、まったく関係のない部分が活発に動いて
いい具合にはたらくんだろう。
そのうちもっとエモーショナルに英語を…小説やエッセイなんかを…夢中に読めたらと想像するとわくわくする。
生涯学習ってすてきね。


さあて、英語は趣味みたいになってきたからそろそろ、本腰入れて政治経済をやらなきゃ。
すこし手を出して、まだ歴史も歴史、マグナカルタ止まりです(笑)間に合わないっ!!

近況/ナショナル・ストーリー・プロジェクト

ただいま受験勉強中!
一ヶ月後に試験があって、それまでに英語と時事問題を学ぶのだ。
映像業界で転職のために試験だなんて、考えてもいなかった。
それに、自分がその求人をみて、本気で英語を勉強しなきゃと思うなんて。


仕事をしながら勉強するのは、こんなに大変なのかとおどろいてしまうほど時間がとれない。
朝夜の通勤時間とランチタイム、それから帰宅後。
3日坊主とは、3日もすれば疲れてしまうからなのかも。はりきりすぎて、4日めからはげしく眠くなる。
本も映画もおあずけで一ヶ月もつわけがないし、友人たちとおしゃべり、遊びの夏。受験まぎわに旅にでることも決まってる。
仕事は忙しくなり、通勤時間も眠ってしまう。。やれるだけやろう、と決めたら気が楽になった。
だけど、すっごく楽しい。はじめは右も左も忘れてこわがってばかりだったけれど、ああそうだと思い出してきたら
毎日、英文をながめるのがとても楽しみになってきた。
せっかくだから、試験に落ちてもTOEICを受けてみようかな、とか
海外に住む友人たちのだんなさんと英語で話せるようになりたいから、発音も勉強したい。
わたしの仕事に英語はあまり関係ないけど、スコセッシやウッディにインタビューの機会があっても今のままでは無理!
あんなに英語の映画をなんども見ていても、いかに自分がそれを聞き流していたかとおどろく。


さて、英語づけの中でふと読み終えた本のお話。三週間ほどかけてゆっくり読んだ。
ポールオースターがラジオ番組をやったときに、リスナーから募集した「わたしの物語」を
179人分集めて編纂した「ナショナル・ストーリー・プロジェクト」。
普通の人々のもつ物語を集めたら、アメリカの姿が浮かび上がってくるんじゃないかという主旨。
シンクロニシティや、失くした物が意外な形で姿を表すとか、偶然とは思えないご縁…
映画「クラッシュ」のような、ささやかで驚くような奇跡のお話が多い。
そうでないものもある、そういうお話は、すごく印象的な光景がひろがる美しい物語。
戦争や、人種差別、移民の暮らし、途方にくれる広い土。たくさんの人々のスナップ写真の集まりのように
アメリカ合衆国のコラージュが出来上がっていく。
きっとすべて読み終えたら(ああ、アメリカだった)とほおっとするのだろうと思っていた。
その通り、けれど実際のところ、最後まで読んだ人は一人残らず、今すぐラジオをつけるにちがいない。
わたしがそうしたように。


ラジオに思い出のない人なんているのかな。
わたしは小学生のころに、昼間にFENを聞いていたことは以前書いたけれど
もうすこし高学年になると、自発的に夜中にこっそりラジオを聴いていた。
とても記憶に強いのは佐野元春のラジオで、AM放送だった。局も番組名もわすれた。
ヤングブラッズが流れて、モノラルで音がわるくそれなのにとてもキラキラした、あの感じは一生忘れない。
世界に色がついたような感覚。わたしは一人じゃなくて、広い世界のたくさんの街角に誰かがいる、という確信。
レコード、CD、いい音のヤングブラッズも、それにその後ライブで生で聴いたときも、ほんとうに嬉しいと感じた。
けれどあのときの、モノラルの、電波の不安定なノイズの介入も含めたあの音で今もう一度聴くことができたら
涙が出るほどしあわせだろうと思う。


この本はラジオと同じように、誰かの話すのを(或いは歌を)日常のなかでふと聞きとめたような本。
アメリカを感じるだけでなくそのもっと奥にある、普遍的な…世界の日々の回転するさまが浮き上がってくる。
日常、その回転の美しさを見出すことのできる本です。ぜひ読んでほしいです。

ナショナル・ストーリー・プロジェクト

ナショナル・ストーリー・プロジェクト

ついでに、わたしの思うアメリカのイメージ(本を読んでひさびさに見直した…やっぱり素晴らしい写真集!)
Robert Frank: The Americans

Robert Frank: The Americans

ついでのついでに佐野元春!!!

実際よく効くアロマの話

夏になってとても困るのは、夜に猫にえさを出すときのカ。
庭のヤブカは元気いっぱいすくすく育って、ちょっとすきをみせると部屋に入ってくる。
子猫も入るし…(先日また入った。なんと朝の出勤前で、ほんとにてんぱった。)
カはよく見えないから何匹入ったかわからない。けっこう刺されてる。
刺すのはいいけど、眠ってるのに耳をかすめて、あの音で起きてしまうのはむっとする。


と云う訳でおすすめされて、カを撃退するアロマがあるというから探しにいった。
荻窪のカリス成城で、ちょうど虫よけアロマ製品が大特集されていて、キャンドルやオイルや
固形にかためた芳香剤タイプも置いてある。
さんざん迷って、アロマオイルのオリジナルブレンド「虫よけブレンド」オイルを買うことにした。
友人に聞いていたシトロネラと、ほかにレモングラス、ラベンダーが入っている。


アロマは、わけもわからずいい香りを求めて、とか眠りによいラベンダーとか、生理前の変調をなおすマッサージオイルを
時々使う程度で、あまりちゃんとした知識がない。
アロマは奥が深いよ、ときいてから気にかけているけれど、身体への作用が劇的に起きることもないので
いまだなんだか雲をつかむような?
身体よりも心に作用する感じがして、ラベンダーのときはたしかに寝つきよい。でもただ眠いだけかもしれないし
生理前のいらいらはぐっと減ったけど、それは漢方のおかげとはっきりいえるから、オイル効果はわからない…


虫にきくアロマ代表のシトロネラの香りは、虫のやる気をダウンさせるらしい。
はりきって飛びまわっていても、シトロネラのキャンドルをつけると、いやもうなんかいいわ…と
虫がぴったり羽を閉じて、げんなり?とにかくめんどうになるのか、動かなくなるっていう。
香りそのものは、こちらからすれば爽快で元気になりそうな匂いなんだけど…


きょうで3日連続、使ってみた。
カは騒いでない。もしかしたらいないのかしら?1匹見かけたけど…もともとやる気ないカ?
半信半疑でまだ様子をみていたけど、きょうはっきりと「効く」認定します!
猫えさを出していたら小さいガが入ってしまい、これがけっこう元気だから、うわーやばい困ったなと思ってすぐに
ガの近くで虫よけアロマを温めはじめた。
そしたら暴れガがぴたっと、どこかに消えて(隠れたのか)みえないところでじっとしているみたい。
さらに少しあとに、暴れガがまた出てきたんだけど、あまり飛ばずにすぐ物陰に隠れてしまった。
そらとばかりにその近くにアロマを移動して、すっかり静かになった!
朝になったらきっと窓辺で出たそうにしてるだろうから、飛んでってもらおう。円満円満!


というわけで実証実験の結果、これはすごいなと思ったので書きました。
虫の気持ちを聞くことができないから、どういった状態なのか知りたくても知れないけど
やっぱり、身体じゃなくて心に作用しているのは明らか。生き物の心に訴える香り。
そう思えばヒトにも、眠りよくとかリラックス、やる気アップ、みたいないろいろな効能も当然あるとやっと理解した。
虫はどんな気分なのかしらね。
めんどくさいのか、酩酊状態なのか、やさしい気持ちになったとか、急に一人になりたくなったとか。
積極的に逃げてるわけじゃないから、はげしい感じではないんだろう。この香りがね…すごく不思議。
生き物って不思議。わたしも同じ生き物として、わたしに作用するアロマを知っていれば、安心して気持ちよく暮らせそうで
ちょっとわくわくする。
先日仕事で出会った女性は調剤薬局の人で、アロマに精通していて、被災地にアロマを配って講座をひらくんだと言っていた。
それはとてもいいアイデアだ、と今日あらためて思った。


カリス成城のホームページ
http://www.charis-herb.com/

今よりもっとすてきな場所へ!

きょう、退職させていただきます、と取締役に言った。
ゆっくり話しあい、わたしたちが抱いていた考えがほとんどすべて一致していたことを知り、とてもうれしかった。
会社のやりかたへの疑問、わたしが本来いるべき場所、会社との誤差。
わたしがまっすぐにディレクターをやっていきたければ、いつか耐えられなくなるだろうってことも。


震災の少し前から、転職を考えはじめていた。
この仕事が終ったら会社を辞めよう。
関わる人の全員がうつ状態になり、うつ病で2人が退職した。そのあと3人がつぎつぎと辞めた。
あまりに傷跡の深い仕事だった。
わたしも正気を失い、ほんとうに、周りにやさしい友たちがいなければ発狂していたかもしれない。
そしてもうすこしで納品のとき、震災ですべてが白紙になった。
ロバート・アルトマンの「ショートカッツ」のように、「マグノリア」のように、
すべてが崩れ、この生活そのものを考えなおす意思で、わたしの根底がめちゃくちゃに揺らいだ。


どこに住み、なにをしてお金を得て、どうやって生活していくか。
現状をすべてなくした状態での選択の自由度に、こころから戸惑った。
震災の前に、いつか住みたいとかんがえていたのは金沢しかなかった。ニュージーランドでもいい。
けれど本当のところ、どこだっていいのだ。地球上の、わたしの身体が適応できる場所であれば。
機軸は何をして生きていきたいかでしかなく、そして精神を冒されるのなら映像の仕事をすててもかまわないのだ。
仕事で身体もぼろぼろだった。これでは長生きできない。
映像をのぞいてわたしがやりたいことはなにか。わたしは一気に落下した。
なにもやりたいことが思いつかなかった。


そこで、「女性の全仕事100」とかいう本や「ケイコとマナブ」「とらばーゆ」などを本気で読んでみた。
気になったものを書き記しておこうと思って、メモ帳とかマーカーを準備した。
その膨大な職業情報のなかで、わたしが映像以外に興味をもったのは2つだけだった。
探偵と本屋。以上だ。
そしてばかばかしいことに、自分で呆れてしまったのは、「本屋探偵」というシリーズドラマのあらすじを
頭に描いてしまったことだった。まったく、あきれてものもいえない。
つまり、結局のところ、あたしは映像なんだと思ったら、すっと落ち着いた。
なんだ。なんだ。そうかと。それから果たしてこの会社をやめるべきか、ですこし悩んだ。


震災のあと、わたしの尊敬する先輩ディレクターが、うつ病をひどくして会社をやめてしまった。
何年もそれをつらく感じたり、全力でフォローしなきゃと必死になって、ともにたたかっているつもりだった。
実際どうだったのかはわからない。必死すぎて気付かなかった。
彼がいなくなったら、わたしはいかに彼に助けられ、救われていたかを知った。


それでも日常はつづく。
やるべき仕事や、うれしいこと、悲しいこと、あたまにくること、悩むこと、怖くなること、よろこび。
映像をつくれるよろこび。
ちょうど撮影があって、終ったあとに片付けをしているとき、心の中で音楽が鳴った。
TMネットワークの「Here,There,Everywhere」
とてもなつかしく、彼らの音楽のなかでわたしは一番この歌がすきで、スタジオ収録のうまく終ったときに
かならずといっていいほど流れる。
この歌には映像があり、それは有名なセルフ・コントロールのPVの、ただのメイキング映像のつなぎ合わせなのだけど
わたしは中学生のときに、そのスタジオ収録の裏側の映像を、たぶん1000回くらいは気に入って見つづけた。
ビデオはこうやって作られるんだというはげしい好奇心と、スタジオにいるたくさんのスタッフへの憧れ。
ここにいたい、という願い。


そのときは、ここにいる人たちの職種もなにもさっぱりわかんなかった。
メークさん衣装さんAD、照明さんカメラマンVE、技術の助手、マネージャー、エキストラ、今見直せばだいたいわかる。
けれど子供だから、ディレクターという、クレジットの最後に出るISAC SAKANISHIを目指せばいいらしいと思いこんだ。
バカで短絡的だけど、その願いは気付いたら叶ってた。いまは当然のようにそこにいて、そして不満や不安を抱いてる。
わたしがディレクターをやめるか迷ってるなんて言ったら、中学生のわたしは泣いて止めるだろうと思う。
あらためてそのビデオを見直したいと思ってネットで調べた。
いまだにいつか会いたいと憧れていた坂西伊作さんは、すでに亡くなっていることを知った。すこし前、昨年に。
いつかわたしが作った自信作をみてもらいたかった。それで、どこがだめだとか言ってほしかった。
願いはかなうものとかなわないものがある。


けさ、起きてテレビをつけると震災から今日でちょうど4ヶ月、といっていた。
あれから4ヶ月経った。がれきから草花が生えはじめている、と夏草が映っている。
わたしをひきとめていたいくつかの愛着や、捨てがたいもの、手放したいもののいっさいを思い浮かべて
それからTMネットワークのビデオを思いだした。
なぜだろう、きょうそのとき、ぐずぐず曇っていた決心がはっきり見えた。
会社は変化し、わたしはもうここにはいられない。
わたしの願いはただひとつ、映像を大切につくっていける場所にいたい。今よりもっとすてきな場所へ。
(できれば、のんびり映像をつくりたい!)


他愛ないビデオだけれど、見直したときは今までのたくさんの現場を思い出しておんおん泣いた。
私以外の人は泣く要素ゼロだけど、いい歌だからよかったら見てみてください。

1分20秒あたりの男性が坂西伊作監督。若いなあ…今のわたしより年下かしら!?

パリ、ジュテーム、カサヴェテス

何の気なしに「パリ、ジュテーム」を借りてきて観ていたら、最後のほうでびっくり仰天した。
ジーナ・ローランズとベン・ギャザラーが夫婦役で出てきたのだ。
それまでパリの街で、とくにラブストーリーってわけじゃなくパリの街に対してジュテームなんだなと
理解できるような好ましい短編スケッチが続くなかで、すうっとレストランにジーナが入ってきて
そして、向き合ったのがベン・ギャザラってもう…
これカサヴェテスじゃん!
どうみたってカサヴェテスの映画じゃん!!!


ジェラール・ドパルデューがウエイターの役でちょこまかいるのだけど、なんだろう、もう
カサヴェテスの映画に脇役でも出られてうれしいっ。(>_<)。みたいな感じで。
ドパルデューってパリの高倉健レベルでしょ。。そして、この人がカサヴェテスファンなんて意外だ。
それまで、ずっとほぼ全話フランスの女優さん達が、パリジェンヌの着こなしやたたずまいで出てきてて
「パリ」の空気を作っていたのに、もうジーナがいつもの服装で出てきたとたんに「パリ」関係なし!
凛々しさはパリに合う。けど、ジーナはどこにいてもジーナだから。
ベン・ギャザラーのほうは、おしゃれしてパリの紳士っぽくしてるんだけど、顔つきがただ者じゃないから
目立ってしょうがない。
この二人の前では、ドパルデューもジュリエットビノシュも前座っていうか…
THE WHOの前座のポールウェラー、みたいなものだ。
きっと唯一この映画中であの存在感に対抗できるのはナタリーポートマンで、黒人女性の役をやっていた。
メークで肌色を暗くして、黒人女性のあの笑顔を、みごとに表現していたので大好きになった。
でもジーナ一人なら対抗できるけど、ベンギャザラーまで出てきたら太刀打ちできないね。。


後でクレジットを見てまたびっくりしたのが、脚本をジーナ本人が書いていること。
好き勝手に愛人を作って別居婚している夫婦が、離婚をするっていう設定なのだけど
たった5分の会話で、二人の関係と愛情のかたち、複雑な気持ちを浮き上がらせるなんて、ほんとカサヴェテスの映画みたいだ。
カサヴェテスと役者たちが、真の意味で一緒に映画を、作り上げてきたっていうことを立証した脚本だった。


ドパルデューは連名でその監督をしているのだけど、断言していい。
芝居については「二人におまかせします♪」だったに違いない。
たぶん二人は現場で芝居をがんがん作り上げていき、さあOKよ、となってから撮影に入ったにちがいない。
ジーナはパリに住んでいる設定だから、パリジェンヌってことになるわけだけど、ニューヨーカーがパリに住んだ、という
パリ&ニューヨークの女性の強さをダブルでもっている、最強の女性にみえる。
列強パリジェンヌの大トリがジーナで、パリっ子たちはどうなんだろう?
これだけ存在感がものすごいと、最高に憧れだったりするのかな。だったらいいなあ。
けれどこの位置に、たとえばジェーン・バーキンをもってこなかったところが、この映画のおもしろいところで
さらに「カサヴェテス篇」(と呼ばせてください)のあとにくる最後のお話は、アメリカ人観光客の一人旅の物語。
パリの誰と知り合うでもなく、異邦人としてパリのなかに佇み、人生のことをかんがえる。
これがとてもすばらしくて、「カサヴェテス篇」からぼろぼろ泣いてたわたしは最後まで泣きっぱなしだった。
エンディングにジーナがふたたび登場するのをみて、ああやっぱりこの映画全体の中で浮きまくってるけれど
カサヴェテス篇が一番、みんなが望んでいた(よろこびをもって作られた)ものだったんだな、と思った。


ちょっとアルトマン映画みたいな雰囲気のあるオムニバス映画だから、アルトマンファンにもお勧めします。
勿論、カサヴェテスファンは全員、観ないといけません。とか公開時に言われてたのかな…劇場で観たかった。
ジーナはいいなあ。本当にいい。ああいう人になりたいと、心底願う。
あんな風に生きられたら、もうどこでどんなふうに暮らしても、怖れも揺らぎもなく穏やかにいられる。
自分の中の暴力に打ち克った人の顔。観る者のこころを包み、やわらかに暖める。
ジーナ・ローランズが特別なのは、魔法使いだから、なのだ。

赤い靴

昨日の日記に書いた「サウダーヂ」は秋に劇場公開がはじまります。
場所はユーロスペース、また見に行くのでそのときに、もっと映画に入り込んだかたちで書こうと思う。
きのうの続き、そういえば先日。
東銀座の橋の上で、四方八方からナイフでめった刺しにされる夢をみた。
夢のなかでわたしはとても冷静で、ああ、関係ない人もどさくさにまぎれて刺してる、と冷めた目で
刺す群集一人ひとりの目をみている、というものだった。
それはたぶん、ガルシア=マルケスの「予告された殺人の記録」の要素が「サウダーヂ」にはあって
最近あの小説と、よくできた映画をなんとなく思い出していたからだとおもう。
と、いうわけでガボファンもユーロに集結よろしく!


きょうはそのユーロにひさしぶりに行ってきました。
大人気のクラウベル・ローシャ特集も見てみたかったけれど、わたしは「赤い靴」!
おとなりのシネフィルや熱い映画ファンに比べて、こちらはほんとうに年齢層が高くて
リアルタイム世代か少し下の…高齢のかたが多くきていた。
1948年の映画の復元で、スコセッシががんばって2年もかけて蘇らせたというのだから
それで音楽映画(バレエ映画)だというのだから黙っていられない。


「赤い靴」はアンデルセンの童話が悲劇。赤い靴(ダンスシューズ)を履いた少女が、延々と死ぬまで踊り続ける物語。
イギリスの映画だしいわゆるMGMな王道ミュージカル映画の感じではないな、とは思っていたし
そしてスコセッシが熱心に関わっていることを、考えあわせてさらにこの客層だ。絢爛豪華な悲劇…なのかな。想像がつかない。
というわけで、観てみたらこの壮絶さ、成瀬巳喜男のような辛辣さ、しっかりした生々しい悲劇にびっくり。
バレエの内幕もので、普通の女の子がプリマにのしあがっていくスポ根もの。
そして、ついに才能が花開いた「赤い靴」のバレエ化の舞台には、たぶん20分くらい尺を割いてまるごとバレエを映している。
この美しさ、バレエシーンがすばらしく美しければ美しいほど…そのあとの悲劇がほんとうにやるせなくなる。
わたしはもう、このバレエで大成功してやったー!で終るんじゃないかと思ってた。それでOKだと。
このバレエシーン、スコセッシのファン的にこれは「ラストワルツ」の華麗さに相応する夢の映像だったから。
しかし、そこで終らないのがこの映画のすごいところで、ここからが本番の悲劇のはじまり。


プリマと仲間の音楽家が恋愛関係になり、それを知った演出家が嫉妬に怒り狂い、大暴力大会になる。
楽家をクビにし、プリマにもへたくそになったぞ男のせいだと怒鳴り、舞台を延期する。
プリマの選択肢には、しあわせに恋して踊るというのは残されていなく、踊るかやめるかといった問答に発展していく。
演出家の目ははじめから、すこし気味悪くて気に入らなかったのだけど(デニーロとショーンペンの間みたいな男前なのに)
嫉妬にくるいはじめた目はほぼきちがいで、昨日書いたような執着まるだしな暗い目でへびみたい。
たいして恋敵の音楽家はしあわせいっぱいで、すきーと素直に愛してて、誰だってこちらを取るだろう。
野心と金に執着している女性は別として。そして、バレエを自分の命と考える誠実なプリマをのぞいては。
バレエ団を捨てて、音楽家と結婚したプリマはしかし、また舞台に立たないかと演出家に誘われて復帰を企てる。
この映画の本当に壮絶なみどころは、逆嫉妬ですっかり裏面の顔がむきだしの音楽家と、やっぱり暗い目の演出家、
それぞれのエゴをもって二人がプリマに「仕事か家庭か」を迫りまくるシーン。ほんとうに鬼気迫るおそろしさで
追い詰められたプリマは、そのどちらにも服従しない決断をする。
プリマは踊るように出て行き、バルコニーから飛び降りて死んでしまうのだ。
これは悲劇だ。服従しないぞ、と意識的に決断するのでなく、魂が逆らったという感じ。
まるで赤い靴が魔力をおこしたように、足が勝手に動いていく…みたいにしていたけれど。
こんなに重く響く映画だとは思いもよらなかった。
重厚で、きわめて美しく、生々しく、力強い。けれどすごく品がある。
泥沼に底なしに落ちていくのに、ドラマティックに引き込まれるのは、嵐が丘に似た魅惑だろうとおもう。
そしてけっこう、びっくりするような独創的な映像も出てくる。ダンスのマジックと映画的表現がときどきすごく実験的で
やっぱりバレエシーンは素晴らしい。
このたびはスコセッシズムの発見というよりも、スコセッシは根っからの映画好きだとわかった。ほんとうに。


赤い靴(デジタルリマスター版)
http://www.red-shoes.jpn.com/