なるようになる夏と旅 Part4〜阿波池田散歩

阿波池田は、大歩危のいちばん最寄の繁華街だ。
アーケード商店街がふたつあり、その三分の一の店が閉まっているシャッター街
たばこ産業で潤っていた昭和40年代で時が止まっている、という。ウィキペディアをみたら過疎地となっていた。
商店街のお店の様子に、それがよくみえる。時間の止まった古い店構えがつづく。
マクドナルドもツタヤもユニクロも、ファミリーレストランもない。
すこし行ったところにだだっ広いショッピングセンターがある。入っている店1つあたりの面積が大きい。
ここだけが現在の田舎町のようす、ドコモとダイソーが陣取っているのはさすがだなと思う。


夕方の6時ごろに阿波池田に着き、お茶しよう、と喫茶店をさがしてもみんな閉まっていて
営業時間がとっくに終っていたり、シャッター街してたりするのでおどろいた。
ここでは、レストランもその時間には閉まっている。夜に開いているのは居酒屋だけだ。
それから、こうこうと輝く駅の待合所と売店ニューデイズ
コンビニも、あるようだけどけっこう遠くだ。


過疎地というのはこういうことなのか、商店街は広いのに、人通りがとてもすくない。
人がすくない。そして見かけるのは中高年の人びと。若い人がすくない。
かれらにはこの豊かな自然と、おいしそうな道の駅の食材、自分ちの畑で作る作物があって
仕事で午前様になどけっしてならないのだから、都心のようなファストを求めることもないし
自分でつくるほうがよっぽど美味しい。サービスてんこもりの量は身体も求めないだろう。


わたしは肉とチョコレートがないとだめだった。消費がはげしいから体力がもたなかったのだ。
いまはチョコレートはそんなにいらない。肉は必要だ。脱肉をしようと試みているけれど、つかれるとだめだ。
だけど、もしわたしがたとえば金沢に移住して、のんびりとストレスなく暮らせたら、もしかしたら
肉は必要なくなって、野菜と市場の魚で暮らしていけるかもよ、と以前親友にいわれたことを思い出す。
たまに、その話がふとよぎって魚のお味噌汁をつくる。


阿波池田の民宿は、商店街の脇にある駅にとても近いところで、木造のふるい建物だった。
あ…大昔の、うちの本家を思い出した。木造、砂壁、すりガラスの窓。もちろん和室。
部屋に入ると、床の間に和風人形が飾られていて、夜中に踊りだしそうだ。
宿はおばあちゃんが一人でやっていた。部屋の数はけっこうありそうな2階建。
ほかにもお客さんはいるようなのだけど、気配を感じない。
共有のトイレも木の扉で、『御手洗室』とずいぶん古いフォントで大きく書かれていて
成瀬巳喜男の映画にでてきそうな宿だね!といいながら、きょろきょろしてるとおばあちゃんがお菓子をもってきた。
おばあちゃんはとてもひかえめで、ちいさい声で「あの…ね。お菓子ね…よかったら…ね。」などとはにかみながら言う。
控えめだけどうれしくて歓迎している、という浮き立つ表情がとても可愛く、この地特有の素直な人なつこさがのぞいた。
おばあちゃんの帳場には、きっとどこか都市に住んでいる子供や孫の写真、民芸品や雑多な生活用品、動物カレンダー。
ああ、本家の帳場にそっくりだ。今はもうないけれど。
こんなにはにかみながら、一人で民宿をやっているんだなあ。


まだ明るいので、阿波池田の町を散歩する。
うだつの家をみつけて眺めたり、ほとんどの家が瓦屋根で、けっこうな確率でしゃちほこがついている(!)から
しゃちほこ探しとその評価をした。
しゃちほこは紋様つきだったり、鬼の顔になってたり、よくみると鳥の姿のもあってふしぎだ。
もっとふしぎなのは、なんで徳島の阿波池田にこんなにしゃちほこが居るのかしら?


駅の反対側に渡ると、そちらは商店街もなにもなく畑と住宅街。山沿いの家はみるたび朽ちていた。
住宅街にいきなり廃屋がでてくると面食らう。家具や生活のどこかで止まったそのままが、台風のせいだったのかな、
めちゃくちゃに荒れてそこにある。これはどういうことなんだろう、と思い話しながらあるく。
そのなかでも、ぽんと米軍ハウスみたいにセンスよく、明るい色でリフォームされた家々が建っていたりする。
この地は過疎にはちがいないのだけど、あたらしく住む人々もいるんだとわかる。ペンキが新しい。
もしかしたら、外国人なのかもしれないね、とか想像する。ここは排他的でないから、かんたんに受け入れられて住みやすい。
現代の利便には欠けるけど、それを必要と思わないひとなら居心地いいと思う。


それから、将来どんな場所に住みたいかを話した。Uちゃんとわたしの望みの似たところ、違うところ。
生きやすい…毎日ほっとして、毎日たのしくあたらしく、居心地のよい生活のできる環境とは。
生き方は人の数だけ違っている。うちの母さんは、親子でもそれぞれ違う人間なんだから、とよく言い、
思春期にはそれでよく泣いたけれど、ただ今は、そのとおりなのだと素直にうなづく。
だからおもしろいのだし、一緒にいられるのだし、あたらしくいられるのだ。


民宿のおばあちゃんは、はにかんでか弱そうにみえたけども、実はそうでもなかった。
その夜、わたしが足のゆびを怪我して戻ると、そりゃ赤チンや、チンとしてやらんとね!と急にしゃんとして
てきぱきと薬箱を取り出し、あれよあれよという間に赤チンを塗られ手当てをしてもらっていた。
その口調はやっぱりこの土地のひとのぱきっとしたもの言いで、表情もきりっとなり、別人のようにたくましかった。
ちょっとおどろいて、このひとの人生を想像してたのしい気持ちになった。


明日はもういちど大歩危へ。