大晦日(今年の運命、来年の合唱)

akk2005-12-31

晦日特別な一日です。
17歳になる年から、どこか音楽が聴こえるところへさまよって歩いて。
それで今年は、さすらいの果てにきてしまったような。
ベートーヴェン交響曲を聴きに行きました。
第一番からずっと演奏して、年が明けて、第九番がはじまります。
私はクラシックに詳しくないです。でも大好き。とくにモーツァルトベートーヴェンは。
ベートーヴェンは運命を作った人だから。


始まりは31日、午後3時半。
第一番、第二番と続けて演奏したところで休憩。はやくもまいっちゃって、このあと大丈夫かしら最後までもつかしらといいながら。
初めて聴いた第二番は本当に素晴らしい曲だった。第三番はピアノで弾いたことある曲・・・
とかいう感想はナンセンスなので、やっぱやめます。この演奏会は私にとってパーツで伝えるものじゃなくて、
岩城宏之さんという指揮者の人がベートーヴェンにかわって一から九まで表現するものを
ただ受けて、彼らと演者と私の心が9時間後どうなるか、それだけです。普通にレポートを読みたい方は、他のブログへGOです。
でもついでに書くと、第四番は「楽しかった!」
休憩。


1時間位の夕食どき『大休憩』が終わると、第五番。
私は、第九番と同じくらい第五番が好き。心のなかの状態を音楽にしたら、こうなるんだとおもう。
深く深く、ハートビートのもっと奥にうねっている流れ。
運命が心の扉をノックする。
扉をひらいて、運命(ようするに人生が出会うすべて)が心に侵入する、全身の血を廻って心臓に至る。
そのはじまりがいくら不安でも苦しくても、先に広がっているのは愛しかない!ほら目を開けて、世界を見なさい!
そして怖がらずに生きなさい。
ベートーヴェンはこどもの私にそう言った。
それから、それなりに怖いものを蹴飛ばして走ってきたわりに死ななかったこと、ベートーヴェンの言うことは正しかったこと
短くてつたない人生の印象がフラッシュバックして、時間軸が現在に戻ったとき
今ここにいるのはこの人のおかげか、って隣に座っている人のことを思った。
ほとんど同時に音楽が終わって、さっと客席が明るくなったものだから・・・くらくらして。
私は彼に何か言いたかったけど、何でもいいから愛を伝えたかったんだけど、何にもいえない。
ただ、ありがとうくらいも言えない?あれ? 反射神経がやられてる。


岩城さんと三枝成彰さんのおしゃべり(岩城さん、休んでていいのに・・・)があって
ここから先の交響曲はなんだか、いきなりギラっとひかりはじめた。
ジェットコースターみたいで。曲調が?それとも演奏が?場の空気や全体のテンションも、
臨界点をこえてシンクロしちゃったような感じで、それが彼の頭の中なの?
ベートーヴェンが見た田園の風景は、実際の風景とマッチしたものだと思ってた。
きょう聴いたらそんな写実的なものではなく、おぼろげな色彩と光のなかで響いてた。
第七番は混乱の中でつきぬけてしまったXTCの『スカイラーキング』のようで圧倒されたし
第八番は、その後なのかな、ネガティブな音はどこにも無い。ただ平和で明るい世界。
ベートーヴェン、あなたはいつから、耳が聞こえなくなってしまったの?


そして第九番を聴きました。
第九番はからだを巡り、肉体が粒子になって、消えていく、境目が無くなる
自分がナイアガラの滝になったような感覚がしました。
わかりますか?
第九番に至るまで、もうその前で私は溶けかかってた。だからそのまま蒸発しちゃった、
大いなる光に焼かれて、体がなくなった。これでわかるかな?
第九番をひとつだけ聴くのと、今夜とじゃ、違うんだきっと。


晦日、池袋の街は真っ暗で、気温も風景も寒々しかったけど
新年、わたしは血が入れ替わったからそれほど寒くなかったよ、とてもいい夜。
あけましておめでとう! 来年も続く一日のはじまり。