Living in the material world

ながらく続いた会社員ディレクター生活を捨てて、ひと月が経とうとしています。
会社という後ろ盾を失ったことのなにもなさは、わたしを完全に自由にも臆病にもして
そして会社に縛られて思いどおりに望むものをつくれなかった苦しみや、
望まない人間関係や規則の継続を手放したこと、その苦しみの皆無におどろきながら
日々の皮膚感覚が総入れかわりをしている。わたしは今その途上にいます。
ときどきもやっとしたり、不安になったり、そういう私の抑揚とおかまいなしに日は昇り
少しずつ死ぬ日へと近づいていくんだなあと思う。


さあ、どうしていこうか。
そう考えることもすくなく、流れにまかせていると、こんなにひまでいいのかなと戸惑う。
慣れてくるとなまけるくせもつき、だんだんよくわかんなくなってくる。どうしていこうか?
今日、マーティン・スコセッシ監督によるジョージ・ハリスンの映画を見に行きました。
近所でやってるのに、早起きができなくて、きょう起きれなかったらやめようと思っていた。
だけど、ばっちり8時半に目覚めた。ああ、運命なのかもしれないな、と確信をして吉祥寺へいく。
それで、映画が始まってすぐに、わたしは自身の状況がはっきりわかった。
「怪我を治そうとしている猫」なのだ。猫は怪我をすると、どんな性格の猫もおなじ状態になる。
だまってうずくまって、顔はしゃんとしてるのだけど、なにしても強く反応しない、けっして怒らない。
長年の猫の謎、怪我したときの静けさ。心がここに在りながらべつの角度を向いていることの理由が
この映画をみてわかってしまった。
神さまに身をゆだねている。神さまと一緒に、静粛に過ごしているからだ。
猫だったらそれは神様というより、自然、ということになるのだろうけれど。
どうして、そう思ったんだろう?ジョージ・ハリスンの映画がはじまってすぐに、なぜ?
猫の話はひとつも出てこない。
つまり、猫はわたしの心で、神さまはスコセッシ、いや、この映画そのものってことなのだ。
わたしはおとなしく、うずくまって映画に埋もれた。


会社を辞めてからひと月、頻繁に映画をみにいっている。すばらしいもの、私には合わないもの。
このような気持ちになったのははじめてで、ああ、そうだ私はこうやって映画にそばにいてもらい
生きる力をたくわえていたんだっけと思い出した。みるみる心が満ちていく。
きっと日々の心の変化と、ちょうど今日のこのときに、タイミングがぴったり同調した。
幸福な時間をすごし、わたしは自身の不安を捨ててきた。


ジョージ・ハリスンは根っからやさしく、明るいひとだ。
ビートルズの中で一番、すなおで単純な明るさをもっていると思う。それは歌に現れている。
名声や金にまったく無頓着で、若くして大金を得て、金はけっして心を満たさないと知り
心は神へ、精神の鍛錬へと向かう。洗脳でも思いつめるでもなく、ただ心のままに。自由に。
音楽をつくり、生きる。
スコセッシは誠実にモンタージュする。ジョージの心が浮き上がるように、ビートルズの狂乱と
写真に映るかれらの精神の状態をつたえる。時代の空気、台風の目のなかの静けさ、閉塞感。
精神の変容、それぞれの成長、ジョージの精神の旅の道程。
3時間半は短い。もっともっと、ほんとうは丹念に徹底的にやりたかったはずだと思う。
ジョージという巨大な精神を描くには、きっと最低でも6時間は必要だ。
けれど、心を震わせる瞬間があればそれでいいのだ。映画は、その一瞬のために2時間とか
6時間とかあるのだ。とわたしはむかしからその思いは少しも変わらず、きっとだから
批評家にもシネフィルにもなれないんだなと思うけれど、改める気はないし変わりようがない。
きっと映画とは一生そうやって付き合っていく。わたしは猫で映画は神様だ。
そうわかってしまった。


心を震わせた瞬間をここに記しても、至るまでの二時間が欠けているからさっぱり伝わらない。
ただ、こう書けばわかってもらえるかもしれない。ジョージはこういう人だという映画だった。
ビートルズの終わりに近いころの、とても有名な歌
Here comes the sun Here comes the sun,It's alright.
日が昇る、日が昇る、大丈夫さ。


わたしはひとりで泣いていた。だからここは泣く場面じゃない。けれど映画もわたしも、それでいいのだと思う。
ジョージは何度も言う。この世から旅立つまでの時間、神の存在に気付き、しっかり生きていけばいい。
最後に流れたのは神への愛を謳う歌だった。
そしてそれは、監督からの、ジョージの人生に関わった全員からの、ジョージへのラブソングになっていた。


こうして今も文章を書いている間に日付がかわり、大晦日になり、新年を迎えようとしています。
来年は早々に、金沢へ行こうと思っています。神にささげる特別な能楽演目「翁」を見に行くために。
この演目だけはどこで演じようと、三番叟の間は会場の出入りを禁ずる、完全なる神事です。
ずっと憧れていた、いまならそれを見に行くことができる、だって
日が昇る、日が昇る、大丈夫さ。
ジョージと映画がそう言うから。


来年はもうすこし頻繁に書きます。明日は第九が流れる夜、お寺の鐘が鳴る夜です。
神はどこにでも居る。よいお年を!

映画「サウダーヂ」について、いま考えていること

修道院の長老がこう言う。


肝心なのは、自分自身に嘘をつかぬことだ。
みずからを欺き、みずからの偽りに耳を傾けるものは、
ついには自分の中にも他人の中にも、真実を見分けることができぬようになる。
したがって、みずからを侮り、他人をないがしろにするに至るのだ。


カラマーゾフの兄弟に書いてあった。
とても簡潔で具体的で、明快な説教だと思う。
思い込みによる自家中毒が精神病の根源であり完全にみずからを欺いているのだと
それを自覚もできず知らず育つ子供らのいかほどに多いことかと
銀座の街や会社にてそのように思う。
聞こえてくる言葉、誰でもいい会話、波風のなき偽りの空間と、しずかに押さえつける暴力。
欺きつづけていたわたし、資料を切り刻みながら思う、よくやってたねえとおどろく。
うそのことば、うそを真実に近づけようと闘ったことば、ばらばらになり同じようにちぎれ
塵になる。まあ、もうすっかり終ったことだ。
他人に環境に理解を示しすぎることは、自分を欺くことに、つながりやすいからきをつけて。
きをつけてなどいなかった、無防備に、そのくせはきっと続く。


ドストエフスキーは長老が奇跡を起こすシーンを、ちょっとおもしろく書いている。
憑かれ女、いまでいう精神病の発作を起こす女性たちで、彼女らはとてもくるしんで叫んでいる。
けれど長老が目の前に現れると、すうっと治るという奇跡がおこる。
これは、本当は彼女らは仕事したくなくて、病気になっている、と
ドストエフスキーはあっさり(ちょっと笑ってしまうくらい)お茶目にかいている。
そして奇跡は、ふつうの状態に戻りたいという本心と、長老の戻りなさいよという理解と慰めが
うまいこと共振して起こり、病が治るのだと、そんなふうに書いている。
わたしははじめてドストエフスキーを読む。なんておもしろいんだろう!と心が満ち満ちる。


さて、わたしはこの冒頭に引用した言葉をビラにして今の東京じゅうの上空に
ヘリコプターから撒き散らしたいくらい、みずからを欺く人とその醸成されるおかしな環境にたいして
自覚してと、叫びたいのだけど叫べばおかしな狂信者扱いをされるのかな?
そう、このようなときのためにさまざまなメディアが発達しここにあるのだけど
メディアとなると数が多すぎて、かんたんに埋もれてしまう。
ただし数も絞られてあんがい埋もれにくいメディアがあり、それが映画だと思う。
わたしは「サウダーヂ」の大ヒットをとてもうれしく思っている。


とにかくたくさんの人たち、たくさんのうそつきが出てくる映画だ。
うそつきというのは、長老の説教基準での、自分を欺いている人々のことで
なにか自分を納得させて生きている人々。
自分説得材料は、世間にそれこそメディアに溢れており、かれらは納得のために
耳や目をふさいで生きている。しんどいと思う。でもそれが、銀座の真実でもある。
映画の舞台は山梨県甲府だけれど。
目先の人間関係は狭く、そのなかに閉じ込められているけれどそう思っていない人々は
それぞれにちいさな憧れや希望を抱いているはずなのだけど、
それら夢がほんとうか、自分を欺いて得た、夢という(さらに欺きを強固にする)説得材料ではないか
自分さがしのあとの自分確定を、早急にむりやり捏造するための灯し火じゃないかと、
まぼろしごっこか言葉遊びか、ざらざらに見え隠れする、みずからの偽り。顔、顔、顔。


たくさんの登場人物のなかで、主人公のラッパーの男の子、それから何人かの女の子集団が、自分を欺いていない。
そのふた組だけ?と思うかもしれないけれど、映画をみればそう、自分を欺いたまま生きることのたやすさと
長いものに染まっとけばOKなんていうアイデンティティのお手軽さ(そして、異常さ)が明確にみえてくると思う。
女の子たちは他人のうわさ話をするだけで、うわさの内容の虚偽はともかくとして
すくなくとも彼女らはまったく自分を欺く気がない。さらさらない。そもそも、欺くってなんで?つまんなくね?
つか、めんどくさ。
と思っている。(わたしはこの子たちが好きだ。)
そしてラッパーの男の子は、自分を欺く材料となりえるものたちと、意識的にもうれつに、闘っている。
この主人公の子に、ふいをつかれて自家中毒が侵食し、まわってしまって事件を起こす、さてかれはたましいを守れたかと
わたしはこの映画をおもにそういう映画だと思っている。
かれの贖罪をみてわたしたちは救われる。元気や勇気や癒しをもらうことや、みずからの正しさを守っていいんだよということを
それが一寸先の未来と現在の環境を手放すことになっても、それでもかまわないしそのほうがはるかに生きやすく
快適で、苦しくないのならそれが、みずからを欺いてないってことだと、わたしはからだにしみてそう思う。
そしてかれ以外の人々の欺きの姿、その多さを見て。
もうひとりの主人公、土方の男性が、幻影とともに、欺きとおした現在の自分自身の孤独に気づいて途方にくれるシーンがある
かれの場合は、一寸先の未来と現在を…手放すのでなく、そもそもそんなものなかったとっくに失ってたとわかってしまう。
かなしいけれど現実は目の前の現実で、そして「これは自分だ」と自覚する誰かが、多くいてくれればいいと願う。
自覚できなければ思考も行動もできない、脳にうでに足に言葉に、そういうふうにつながらない。


そうであってほしいから、いまあと東京で二週間あるから、これから全国ほかの都市、このさきも上映をするのだから
以前にこの映画のことは書いたけれど、あらためておすすめする。


サウダーヂ
http://www.saudade-movie.com/

フェイスブック

仕事で必要にかられて、フェイスブックに登録してそのまま放っておいた。
あるときふいに、中学高校の同級生、卒業してすぐシカゴに行ってしまった友人から
友達リクエストがきてとてもびっくりした。
その子はもうほんっとうに美人で、圧倒的に美人で、先日彼女のことを思い出していたばかりだったから
これまたびっくりだった。
シカゴに行ったきり連絡がとぎれていた彼女と、こんなところで再会するなんてもう嬉しくて
よくわからずに「承認」ボタンを押した。するとそのあとすぐに、だだーっと同級生たちが増えた。
写真がある子もない子も、たった数行のやりとりで、変わってないなあ〜と思う。
ほとんどが10〜20年ぶりなのに、その言い回し、つっこみかたの間合い、反応する感性なんかが
時をこえてもな〜んにも変わってないのだから、なんだかすごいことに気付いてしまった気分だ。
そのひとらしさ、というものに、変化などありえないということだ。


わたしの通っていた中学・高校は、エスカレーター式に6年間つながっている私立の女子校だ。
男性たちによく、女子校っていうと陰湿ないじめとか多そう、と言われるのだけど
校風なのか、いじめもグループ抗争も起きようがない、気楽で楽しくて笑ってばかりの日々だった。
みんな勝手気ままで、気の合うグループというのは自然とできていたけれど、それにこだわらず
いろんなつきあいが起きては交わり、感覚だけで接して、その場に居合わせた子たちとあそんでしゃべって
ばかみたいに笑って笑って…今思うとそれは、とてもラッキーなことだったんだとわかる。
女性の陰湿なふるまい、というのに遭遇するのが、この6年間だけぽっかりと、皆無だったからだ。
それは身近に男がいなかったから、というのもあるかもしれないけど、それ以前にたぶん彼女らがみんな、
どこかしらかしこく、自立した人たちだったからだ。
それが、この長い間のブランクを経ての再会によく表れていて、とてもうれしかった。
結婚している子は超変わらずにたのしそうだったり、へとっと疲れてもすぐ元気になったり
主婦しながら好きなことを勉強してたりする。
独身の子はまあ、とっても自由だ。会社をやめて自分のやりたいこと、ダンスや翻訳業、音楽、演劇、
大学院に入りなおして学んでる子、小物のデザインやってる子。
たとえば、これ食べたとかいうことも、たれ流しではなくて興味深い食情報だったりする。
目線がはっきりしていて、ああ、らしいなあとか、今こういうのに興味もってるんだ〜へえと意外に思ったり
けれどその意外さが、わたしの知らない何年かにできた「良い」広がりだと、しっかり思えるから、とてもうれしい。
みんな、ゆがんでいない。すいすいとスイマーのように、この生きづらい社会で(生きづらさに怪我せずに)
のびのび泳いでる。それは、とてもとてもうれしい。


ツイッターは、きちがい沙汰の速度感と、無駄な言葉のたれ流し、あてつけめいた陰湿さの横行にうんざりしたし
ミクシイは、閉塞的で縛られるようなめんどくささや、やたら出会いを求める顔のみえない人たちの気味悪さについていけなかった
だいたい足あとという機能じたいが、陰湿で気味が悪いとわたしは思ってしまう。誰がなんどみたっていいじゃんて。
(もちろんそれらはわたしの感じた居心地の悪さであって、しっかりたのしく使えている人たちはそれでよいと思う。)
けれど、フェイスブックはいい。と思う。みんな元気でやってることや、なかなか会えないひとたちの近況が、
気楽にちょいちょい知れて、気楽にいいね!とかひとこと声をかけることができる。
わたしもちょいちょい書きたくなる。それはたとえば学校や会社なんかで、ちょこっとおしゃべりするのに似ていて
わたしはこれくらいの気楽さが合っててきにいっている。
もちろんわたしもみんなも「友達」にはいってるのは同級生だけじゃないけれど、それもおもしろくていいとおもう。
ネットのコミュニケーションはこれくらいパブリックで、かろやかで、オープンなのがいいな。


わたしは同級生たちと実際に再会することになった。ちょっとした同窓会しよう、と大きな集まりや、お茶しよランチたべよ
みたいなちいさなことまで。
きっとブランクなんて一瞬もなく、みんなで大笑いするんだろうとおもう。

なるようになる夏と旅 Part5〜再び大歩危/東京に戻る

朝、窓を開けると犬の甘える声がした。
暗くて気付かなかったけれど、この民宿は建物のはざまに犬を飼っていた。大きい秋田犬。
わたしをひたと見つめる、顔をかくしてまた覗くと、ひたと見つめてる。
たまらないなあ〜と喜んでいると、ザッバーと犬小屋に水をぶっかけて掃除するおばあちゃんがみえた。
やっぱりたくましい人だと思った。
犬はかまわずおばあちゃんに甘え、ボウルに入ったえさをもらってちぎれそうにしっぽをふっていた。


民宿を出て、目をつけていた近くの喫茶に入る。ログハウス風のおしゃれな店。
モーニングの時間帯は、阿佐ヶ谷でもおじいちゃんだらけだけど、ここも同じだ。
老人たちがつぎつぎと、入れ替わり立ち替わり来ておしゃべりしている。
他愛ない話をきりなくするのは私達もおなじで、久しぶり珈琲を飲んだ気がしてほっとする。


すこしぬけると川にあたるようだとわかって、当てずっぽうに散歩した。
大歩危につながる川で、また川遊びが出来るかと期待したけれど、川辺の先はダムだった。
ぜんぜん人の立ち入れない湿原緑地帯。
道の駅ならぬ川の駅で休んで、畑帰りのKさんと合流して、ふたたび大歩危へいく。


町の人たちの手作り妖怪がたくさんいるという妖怪ミュージアムに行った。
手作り妖怪もたのしかったけれど、この地に残る伝説がおもしろく、暗く質素で怖ろしい感じは
遠野の昔話とほとんど同じ手触りがした。日本の山間地帯の気候、自然への畏敬の念を恐怖で示した物語。
このような民話や、お能泉鏡花や古い怪談に、ここ何年かとても心惹かれるのはなぜだろう?
ただやはり大歩危は陽気だからか、ぞわっとするような民話などはすくなく、それよりもみんなが笑える
ゆかいななりの妖怪をたくさん作って置いていた。
これはもう東北と四国の気候のちがいだと思う。


妖怪ミュージアムは、なぜか石の博物館というのと併設していて、おまけに世界の昆虫展までやっていて
なんだかよくわからないノンポリシーの展示館だけれど、とてもすてきなところがある。
外のオープンテラスに出ると、眼下に大歩危の渓谷がとてもいい具合に見下ろせるのだ。
川の風が吹いてきて、座っていくらでもぼんやりしていられる。
すこしおしゃべりしながら、川とひろがる山々と、風がとても気持ちよかった。
車でちょっといくとこんな場所があるなんて、本当にいいなあ。
Kさんは移住以来ばたばたしていて、こちらに住んでゆっくり大歩危を眺めるのは初めてかも、といった。
彼女の人生はこれからどう変わってゆくんだろう。


夕方にぴかちゅう列車に乗り込み、また岡山で乗り換えて、ぐっすり眠ったら東京に着いていた。
東京は夜11時ごろ、時差などないけどそう書いてしまうほど、がらりと世界が変わって感じる。
まるで違う国みたいに。
このあいだ京都のお葬式から帰ってきたときも、Uちゃんと一緒だった。二人で東京駅の中央線にのり、
きょうとまったく同じことを言い合って、あまりの光景に二人で笑うしかなくて大笑いした。
「東京って変だよね…!ぜったい変だよ!」
中央線、座る向かいの一列全員が携帯電話を必死にいじっている。まるで命綱のようにして
穏やかではなくせっぱつまった顔で、もしくは泥酔した様子で。ふつうの人がいない。
どんよりとした空気が満ちていて、なんだかそれは派手に病んでいる光景にみえた。
あたしも早く逃げよう〜っと。とUちゃんは軽やかに言った。あたしもあたしも〜、といって二人でわらった。


東京にもどった翌日から、星野道夫さんの「旅をする木」を読み始めた。
旅のあいだに星野道夫さんの話をしたのが残っていて、そうだ今だと思って手にとったら本当にぴったりだった。
すっと自然が身体にしみる、すばらしい本。星野さんがアラスカで感じてかんがえたことは、
わたしが大歩危に行ってかんがえたことに通じる普遍性がある。
東京に戻って時差を感じながら、時差あってもべつに調整しなくてもいいんじゃないかな、と思いながら
忙しく仕事するけれど、心はゆったりする。この本の愉しさが、大歩危と東京のわたしの時間を地ならししてくれる。
今日読んでいたら、今のわたしの気持ちをそのままあらわしている文章があって、すごくうれしかったので書きます。


―ぼくたちが毎日を生きている同じ瞬間、もうひとつの時間が、確実に、ゆったりと流れている。
 日々の暮らしの中で、心の片隅にそのことを意識できるかどうか、それは、
 天と地の差ほど大きい。

旅をする木 (文春文庫)

旅をする木 (文春文庫)

なるようになる夏と旅 Part4〜阿波池田散歩

阿波池田は、大歩危のいちばん最寄の繁華街だ。
アーケード商店街がふたつあり、その三分の一の店が閉まっているシャッター街
たばこ産業で潤っていた昭和40年代で時が止まっている、という。ウィキペディアをみたら過疎地となっていた。
商店街のお店の様子に、それがよくみえる。時間の止まった古い店構えがつづく。
マクドナルドもツタヤもユニクロも、ファミリーレストランもない。
すこし行ったところにだだっ広いショッピングセンターがある。入っている店1つあたりの面積が大きい。
ここだけが現在の田舎町のようす、ドコモとダイソーが陣取っているのはさすがだなと思う。


夕方の6時ごろに阿波池田に着き、お茶しよう、と喫茶店をさがしてもみんな閉まっていて
営業時間がとっくに終っていたり、シャッター街してたりするのでおどろいた。
ここでは、レストランもその時間には閉まっている。夜に開いているのは居酒屋だけだ。
それから、こうこうと輝く駅の待合所と売店ニューデイズ
コンビニも、あるようだけどけっこう遠くだ。


過疎地というのはこういうことなのか、商店街は広いのに、人通りがとてもすくない。
人がすくない。そして見かけるのは中高年の人びと。若い人がすくない。
かれらにはこの豊かな自然と、おいしそうな道の駅の食材、自分ちの畑で作る作物があって
仕事で午前様になどけっしてならないのだから、都心のようなファストを求めることもないし
自分でつくるほうがよっぽど美味しい。サービスてんこもりの量は身体も求めないだろう。


わたしは肉とチョコレートがないとだめだった。消費がはげしいから体力がもたなかったのだ。
いまはチョコレートはそんなにいらない。肉は必要だ。脱肉をしようと試みているけれど、つかれるとだめだ。
だけど、もしわたしがたとえば金沢に移住して、のんびりとストレスなく暮らせたら、もしかしたら
肉は必要なくなって、野菜と市場の魚で暮らしていけるかもよ、と以前親友にいわれたことを思い出す。
たまに、その話がふとよぎって魚のお味噌汁をつくる。


阿波池田の民宿は、商店街の脇にある駅にとても近いところで、木造のふるい建物だった。
あ…大昔の、うちの本家を思い出した。木造、砂壁、すりガラスの窓。もちろん和室。
部屋に入ると、床の間に和風人形が飾られていて、夜中に踊りだしそうだ。
宿はおばあちゃんが一人でやっていた。部屋の数はけっこうありそうな2階建。
ほかにもお客さんはいるようなのだけど、気配を感じない。
共有のトイレも木の扉で、『御手洗室』とずいぶん古いフォントで大きく書かれていて
成瀬巳喜男の映画にでてきそうな宿だね!といいながら、きょろきょろしてるとおばあちゃんがお菓子をもってきた。
おばあちゃんはとてもひかえめで、ちいさい声で「あの…ね。お菓子ね…よかったら…ね。」などとはにかみながら言う。
控えめだけどうれしくて歓迎している、という浮き立つ表情がとても可愛く、この地特有の素直な人なつこさがのぞいた。
おばあちゃんの帳場には、きっとどこか都市に住んでいる子供や孫の写真、民芸品や雑多な生活用品、動物カレンダー。
ああ、本家の帳場にそっくりだ。今はもうないけれど。
こんなにはにかみながら、一人で民宿をやっているんだなあ。


まだ明るいので、阿波池田の町を散歩する。
うだつの家をみつけて眺めたり、ほとんどの家が瓦屋根で、けっこうな確率でしゃちほこがついている(!)から
しゃちほこ探しとその評価をした。
しゃちほこは紋様つきだったり、鬼の顔になってたり、よくみると鳥の姿のもあってふしぎだ。
もっとふしぎなのは、なんで徳島の阿波池田にこんなにしゃちほこが居るのかしら?


駅の反対側に渡ると、そちらは商店街もなにもなく畑と住宅街。山沿いの家はみるたび朽ちていた。
住宅街にいきなり廃屋がでてくると面食らう。家具や生活のどこかで止まったそのままが、台風のせいだったのかな、
めちゃくちゃに荒れてそこにある。これはどういうことなんだろう、と思い話しながらあるく。
そのなかでも、ぽんと米軍ハウスみたいにセンスよく、明るい色でリフォームされた家々が建っていたりする。
この地は過疎にはちがいないのだけど、あたらしく住む人々もいるんだとわかる。ペンキが新しい。
もしかしたら、外国人なのかもしれないね、とか想像する。ここは排他的でないから、かんたんに受け入れられて住みやすい。
現代の利便には欠けるけど、それを必要と思わないひとなら居心地いいと思う。


それから、将来どんな場所に住みたいかを話した。Uちゃんとわたしの望みの似たところ、違うところ。
生きやすい…毎日ほっとして、毎日たのしくあたらしく、居心地のよい生活のできる環境とは。
生き方は人の数だけ違っている。うちの母さんは、親子でもそれぞれ違う人間なんだから、とよく言い、
思春期にはそれでよく泣いたけれど、ただ今は、そのとおりなのだと素直にうなづく。
だからおもしろいのだし、一緒にいられるのだし、あたらしくいられるのだ。


民宿のおばあちゃんは、はにかんでか弱そうにみえたけども、実はそうでもなかった。
その夜、わたしが足のゆびを怪我して戻ると、そりゃ赤チンや、チンとしてやらんとね!と急にしゃんとして
てきぱきと薬箱を取り出し、あれよあれよという間に赤チンを塗られ手当てをしてもらっていた。
その口調はやっぱりこの土地のひとのぱきっとしたもの言いで、表情もきりっとなり、別人のようにたくましかった。
ちょっとおどろいて、このひとの人生を想像してたのしい気持ちになった。


明日はもういちど大歩危へ。

なるようになる夏と旅 Part3〜大歩危の川下り

akk2011-08-15

仕事から帰って郵便ポストを開くと、きのうの日記に書いた宿のご主人から写真が届いていた。
そういえば、写真を撮ってもらってたなあ…つい数日前のことなのに、こうして東京に戻って
あらためて見ると、わたし本当に楽しかったんだな、楽しそうな顔してるわと笑ってしまう。
ホームページを教えていただいたので、リンクを貼ります。
農家民宿 歩危農園
http://www.ctm.ne.jp/~ooboke-kudo/index.html
このページのどこかに、わたしたちの写真がのってます。他のみなさんも楽しそう!
こんど行くときは、ほら貝吹きとヤマガラ呼び寄せをやってみたい!と思ってます。

さて、きょうは旅の大本命・大歩危観光。
観光ミシュランに載るほど、海外では有名な絶景スポットらしく、外国人観光客がとても多い。
JRの最寄駅があるのだけど、大歩危やかずら橋を見るにはアクセス手段がバスのみで
本数がすくない。ひとつ逃すと一時間以上待つこともある。
けれど、旅なんだからのんびりしてて構わないな。待ち時間は自由時間、好きなだけ景色を眺めたり
おしゃべりしたり、散歩できる。
そうやってかずら橋から大歩危へ、あそんでバス乗って着いたら灼熱の真昼間。
暑いけれど、水辺だから涼しくて気持ちいい風が吹いてくる。
道の駅でチケットを買い、小さいモーターボートに乗って川下り観光をする。

ボートにはくつを脱いで乗る。
水面すこし上くらいの低い目線で座り、渓谷の間をゆっくりゆるやかに下っていく。
まるで、アマゾン川をいかだに乗って進んでいるような…

川面は触れそうなほどに近く、見渡すかぎり木々と水、岩肌。
大自然にほうり出された視界に、心からどきどきする。
何がどうしてこうなったのか、渓谷の壁はスパッスパっとななめのストライプ状に削れていて
自然の不思議な造形がおもしろくて目が離せない。
ぜったいに人の立てそうにない尖った岩、ほとんど垂直にそびえ立つ岩壁。
ごつくて有無をいわさぬ、しかし空はひろく手元に流れる水、わたしはその間に浮いてる。
ものすごいエンターテイメントだ。
携帯のカメラなどではとてもじゃないけどその大きな思い、大いなる美しさを納めきれず、巨大な壁も映りません。
船をおりたとき、一人で来たらしいおじいさんが一眼レフを片手に、撮った写真をみながら
「ちっともよく映らねえ…」と首をかしげてまた撮っていたその気持ちはよくわかる!
この「ちっともよく映らねえ…」はかなりヒットして、旅のあいだじゅうわたしたちの中で流行ったのでした。

道の駅でまたバスを待つ。
こんどは一時間半の自由時間。食堂でごはんを食べ、大歩危の見下ろせる席を陣取って
つれづれ眺めながらおしゃべりをした。
この場所は、何度来ても、何時間いてもいいなと思う。


スタート地点の阿波池田へ、バスで30分ほどで戻る。
この夜の宿は阿波池田の民宿。何軒もかけてやっと空いてた。翌々日夜からこの街では、年に一度の阿波踊りが始まる。
明日は、阿波池田散歩の思い出を。

なるようになる夏と旅 Part2〜徳島・大歩危の宿、ラテンな人々

akk2011-08-14

とにかく漆黒の道路をひた走り、閉まった道の駅に着く。
いまもう大歩危小歩危の渓谷沿いに走っていると言うけれど、真っ暗でなにも見えない。
車を降りると、水の流れるサーサーした音の響き、圧倒的な虫の声。
道の駅に照らされて、渓谷の壁がうっすら見えて、旅のぞわっとくる瞬間がおとずれた。
なぜだかわからないけれど今わたしはここにおります、という現在地だけがリアルで
わたしのIDがすべて取り外された状態。
本質にもどる、という行為は田舎へ行けば行くほど、強制送還のように有無をいわさず行われる。


あわただしく別の車に乗りかえる。今夜の宿の車。
仕事をやめてこの春から小さな民宿をはじめたという宿のご主人は、元気で豪快でパキパキしている。
車はどんどん山を登り登って、ほとんどてっぺんに到着する。あれが大歩危の駅、とさすのは
もうずいぶん遠景になった光。
夜だからなんだかさっぱり見えないけれど、そうとうな絶景だとひとめでわかる高台だった。


宿は宿というか、だれかの実家に泊まらせてもらうような広い二世帯住宅のような邸宅で
こういう宿に泊まるのは初めてだったから、とてもおもしろく思った。
無計画で無謀だった大歩危小歩危・かずら橋見物も、ご主人とおかみさんがバスの時刻表片手に
あっという間にしっかりしたプランを組んでくれて、とても助かった。
開いた宿帳には、まだ数ヶ月だというのにたくさんのお客さんの名前やメッセージが書かれていて
外国人の名前もいくつもあった。
居間でそんなふうにお話をして、お風呂も、部屋も、誰かのきれいな実家みたい。
Kさんはのちのち民宿をひらきたい、といっていたけれど、ああこういう感じなら出来るな〜と
とてもうなづいてしまった。


わたしが知ってる民宿というのは、仲居さんがいっぱいいて、なんとかの間がいろいろあるところか
ざこ寝みたいな大雑把なところでも、なにかと温泉やらぱりっとした浴衣やシーツやらがあって…
そういうのしか知らなかったし、いったい何人で経営してるのかも考えたことがなかったんだな。
旅のプランについての相談も、いつもカウンター越しだったり
はたらくのは雇われているホテルマン、とくに出てこない経営者…あたたかい民宿だったら、かれらは
生まれついてのずっとここで宿を営む人々なのだと、たぶんわたしはそんな風にしか捉えてなかった。
思いがけずこんな風に「おじゃましまーす」の感覚で泊まることになり、そのご夫婦の暮らしぶりや
お庭の農園、手作りのオープンチェアやテーブル、軒先の洗濯物などを見ると、あらためて
どこでなにをして生きていくか、という居心地良い生活への眺望はそう遠景ではないんだ、と元気に気付く。


ゆっくりお風呂に入って、窓を開けて虫の音の洪水のなか眠りにつき、目覚めたら朝、あつい。
ふとみると、窓の外にお墓があった。かれらの名前のお墓。だからまだ誰も入っていない。
大歩危の山の暮らしを愛していて、眼下にうつくしい渓谷を見渡す場所にお墓をつくり、
他界してもここに心地よく居たいんだろうと、そう思える土地で生きることができるのはとても幸せだと思う。
外に出ると、それはそれは大変な絶景、珈琲とパンをいただいて、駅まで送ってもらうあいだに
見せたいものがあるといって、山のなかに点在する妖怪の彫り物をいくつも回ってくれた。
ここはたとえば遠野ぐらいの大田舎なのだ、当然同じようにそういった霊的存在の昔話が多くあって
それが、この土地らしいなと思うのは「妖怪」という愛嬌あるおばけの存在としているところ。
宿のご主人は、さらに近所の寄り合い所のようなマーケットに立ち寄り、その女主人ともお話をしたけれど
とにかく、ここの人たちの気質はからっとしていて、なんていうかラテン系の勝手気ままなところがある。
勝手なのだけど、とにかく人なつこくてカモン!という感じなのだ。
(それはKさんのもっとも魅力的な、東京などではともすると翳ってしまう気質とほぼ同じだ。)
これは外国人があたりまえに多く出入りしてるとか、気候とか、ものすごい渓谷の眺めなんかに由来するのかな?
バスに乗ってても、なんだか忘れたけれどおじいさんがきゃっきゃと声をかけてきて、居合わせた老人たちがどっと笑う
とか、そんなちょこっとしたふれあいでも、人なつこさ、されどべたつかない自立ぶりを感じる。

さて、旅の記録なのに写真がないのはなんだか間抜けなので、きょうはかずら橋まで。
かずら橋はものすごい頑丈なロープで出来たつり橋。足場は木で、すきまが少しずつあるからちょっとこわい。
まるでアスレチックみたい。つり橋の下には渓谷の浅瀬があって、降りて水遊びができる!
足元ばかりみているとほんとに足がすくんでしまうけれど、はやく水遊びがしたくてたまらないからガッツで橋を渡り
川の水に入って散歩した。おどろくほど冷たくて透きとおった、真夏の川の水!

なるようになれ夏の旅。
明日は大歩危のうつくしさを、写真日記で。