モンスター、信じることをやめるな、とジャーニーが言う

映画「モンスター」を観たのは、2ヶ月ぐらい前のこと。
最後から二番目のシーンで、自分でもびっくりするほど突然に号泣した。
そうしてラストシーンでシャーリーズ・セロンが吐いた一言に、もういちど泣いて、笑った。
私は時々、心の中でその『最後の一言』を吐くことがある。
それはほとんど絶望しているとき、トラウマになる光景を見せつけられたとき、
一度、外界と自分を切り離す必要に迫られたとき・・・つまり心がゆっくり閉じてゆく時だ。
誰かがサッカーボールを回すようにして、言葉をパスしてくれれば一瞬で終わる
または、深呼吸して自分で大きく足を蹴れば。それは止まりそれは終わる。
それは悪い影、精神の内側から身体を壊し、命を奪いかけることもある、黒い塊。


悪い影と戦わなきゃいけなくなった。仕事の忙しさに自らかまけることで善戦してた。
そうしたらふっと「モンスター」で流れる歌が頭のなかに響きはじめて、泣きそうになった。
あの映画そのものが、歌とともに鮮やかに蘇ってきたからだ。
その歌はジャーニーの「Don't stop Believin'」という大ヒット曲で
鮮烈な印象を残す使われ方をしていた。もう、歌と映画は、私の中ではひとつになってる。
「モンスター」の悲しみがまるごと、その歌に包まれる。
そういう『ひとつになる』なり方で、運命のように離れないの。
「モンスター」になりかけていた私は、その歌を思い出してひとりで大きく感動してた。
悪い影はどうでもよくなった。そして走るようにしてレコード屋へ行ったの。
うちにジャーニーがやってきた。全部知っていた、たぶん実家にLPがある。
こんどお母さんに会ったときに、この歌を聴いて救われた?って聞いてみようとおもう。


Don't Stop Believin'の歌詞を読んで、和訳が微妙にわかりづらく納得いかぬところがあったので
いつものようにマイ日本語詞づくりに励んだのです。
そうしたら歌詞のなかに、すごく素敵な造語単語をみつけた。
StreetLight Peopleっていうの。『街灯の人々』
街灯のもとに立つ娼婦もそうだし、グレた悪がきも、路上のギター弾きも、途方に暮れた私や、
あてなく歩くあなたも、そうだね。
映画「モンスター」にこの歌を使ったことを思うと、本当に、たまらなく切実な優しさを感じる。
きょうは、マイ日本語詞 ジャーニー篇はいどうぞ!悪い影にまけるな!


Don't Stop Believin'(街灯の人々へ)


ただの田舎町の少女
孤独の世界に住んでいる
彼女は夜、列車に乗り、どこかへ向かう、どこでもいい


ただの都市の少年
デトロイトに生まれ育った
彼は夜、列車に乗り、どこかへ行く、どこでもないどこかへ


煙たい酒場で歌うシンガー
安い香水とワインの匂い
笑顔ひとつが、彼らを今夜、孤独から救う
そしてこの夜は続く、続く、続く、続く


ストレンジャー、夜の闇のなか、何かを待つきみたち
大通りをさまよい歩く、きみたちの影が浮かび上がる
街灯の人々、きみたちはただ、夜のどこかに埋もれている感情を見つけたくて
渦巻く感情の坩堝のなかに居たいんだね。
絶えず探している、なにを? わかっている。
孤独を消し去る確かなもの、エモーション、ただそれだけさ。


「自分を満たすために、やるんだ」誰もがスリルを求めてる
ダイスを転がすためになら、幾らでも払うから
もう一度だけ・・・
勝つ人もいれば、負ける人もいる。ブルースを歌うためだけに産まれてきた人・・・終わりの無い映画だ。
続く、続く、街灯、大通り、映画は続く、街角は終わらない。


信じるのをやめないで、どうかその感覚にしがみついていて、街灯の人々
信じるのをやめないでください、待ってください、どうかあきらめるのは待って、
まだ、そのまま生きて、街灯の人々

エスケイプ(紙ジャケット仕様)【2012年1月23日・再プレス盤】

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