ささやかに環境が変わる

生まれた時から、私は本屋とラブホテルの娘だった。
両親の実家がそれぞれ、そういう自営業をしていたからだ。
両極端のようでいて、裏側を見ていれば同じようなもので
周りの人が興味津々で騒ぐのを、不思議に思ってみていた。
モラルとインモラルだね、って、どっちもただの客商売。お店屋さんだよ。
私はどちらの店番もしたし、掃除や荷解きを手伝った。
「小学一年生」と「エロビデオ」は同じ商品のひとつ、と言うと
みんなが笑うので、私もわらった。大人になればなるほど、受けはよかった。


数年前、ラブホテルが経営難で倒産した。
家のま隣のホテルの敷地は売り払われ、建売住宅が並ぶ新しい住宅地になった。
その光景は、ちょくちょく実家に帰る今でも、まだ信じられない。


そして母親がきょう、嬉しそうに「やっと本屋をやめられた」と言った。


『本屋』は私達親子にとって、大きな大きな存在で
小さい頃は、母親と一緒に半分くらい本屋で過ごしていた。
大きくなって鍵っ子になると、本屋は、20時45分という時間をつきつけてきた。
母親が本屋から帰ってくる時間。
少し遅いと、何かあったんじゃないかと不安になったり
親に内緒で遊びにいくときは、その時間を気にしてそわそわした。
10年前、母親はついに本屋をやめ、違う職業についた。
それでも、まだ手伝いに行っていた。
そして今の今まで、土曜日は本屋の日、と私は認識していた。
きょうは本屋。20時45分の時間指定は脈々と続いていた。


本屋をやめた?
『本屋』は一生続くものだと、勝手に思っていたんだ。
わたしも、彼女も。母親は休息を手に入れて、穏やかだ。
かくして私はきょう、ついに本屋とラブホテルの娘ではなくなった。


ささやかに環境が変わる。
それは本当にささやかで・・・振り返るとき、大きな変化のように思えるだけ。
そういうものだな、時間の流れって。

ああ無情 (講談社青い鳥文庫)

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本屋では、たくさん本を読んだけれど
小学生の時、店先で大号泣した唯一の本(笑)。本屋の思いでに。