アワーミュージック

ゴダールの「アワーミュージック」を観ました。
私は、この映画を観てとても嬉しかった。
それは恩師から、感動的な手紙を受け取ったような嬉しさだ。
私はゴダールマニアではなく、幾つか観ているだけのただの通りすがりで
でも、この映画を観た人全員に、彼はそういう手紙を送った。


「アワーミュージック」 私たちの音楽
ゴダールがこんなタイトルの映画を世に出すなんて、
彼は何か大事なことを伝えたがってるんじゃないか、と思った。
この映画のことを知ったとき、ぱっと思い出したのが
シンドラーのリスト」のラストカットだった。
手をつないで、笑っているたくさんのユダヤ人が映っている。
私の記憶では、そこにミュージックはかかってなくて、無音だ。
もしかしてその時、胸がつまって私の五感が停止しただけかもしれない。
その後エンドクレジットで、静かなサウンドトラックが流れたときに
ここにはざわめきと、オーケストラリハーサルの音と、物凄い音楽の波が
くるべきなのに、と思った。せきを切って溢れる音楽がここで、あってほしかった。
痛切に、勝手に。


ゴダールはこの作品の中で、自らの口でこう言った。
「映画の原理は、光に向かい、その光で私たちの闇を照らすこと。
 私たちの音楽」

私、ではなくあなた、でもなく私たち、と言った。
ゴダールはそうやって映画をつくり続けていたんだ!そうか、
その真摯な姿勢の源を、全然知らないでいた、こんなに素直な思いを。


彼の映画はいつも、注意深く観なけりゃいけないように言われる。
色んな言葉で語りかけてくるから。
でもこの作品は、いい。素直に観ればよい。
目の前のサラエボの風景、殺戮のスローモーション、少女オルガの目、
そして引用の山は、すべて彼自身の言葉だ。
この物語は悲しい話のようでいて、異様に穏やかで
殉教者の心、イエスジャンヌダルクの心は、死ぬのに悲しくなどなかった
のかな、この穏やかさのように。と思った。


前にスコセッシが言っていた。
「映画は、礼拝のような、共同体験である」
光に照らされた闇に、光のもとに現われるアワーミュージックは
生きている私たちそのものが発する『ハートビート』
エンドクレジットは無音だった。
それがとても、嬉しかった。


オルガは楽園へ行く。
でも楽園はまるで、REMのイミテーションオブライフのような世界にみえて
私はまだ、行きたくないな、と思ったよ。