ボブ・ディラン ノー・ディレクション・ホーム

メリークリスマス!賑やかな街を通り抜けて、静かでぶっきらぼうな映画館へ入る。
たぶん日本一好きな映画館。
ここでの一番強烈な記憶、それは高校時代に見たスコセッシの「ラストワルツ」!
思い出の吉祥寺バウスシアターに再び降り立った“This Film should be PLAYED LOUD!”
を追って「ボブ・ディラン ノー・ディレクション・ホーム」を観に行きました。
クリスマスイブに『戻る家もなく』なんていうタイトルの映画を観るなんてね。アハハ。


ボブ・ディランの人となりについて、私はよく知らなかった。
逆光シルエットのジャケットの素晴らしいベスト盤、聴いているのはそれだけ。
「Blowin’in the Wind」の歌詞が凄く好きだった。傷ついて弱った時、救われた歌。
ディランが私の少し前を歩きながら、口笛を吹くように歌っている。私はついてゆき、
また歩き出す。そうして傷が癒された人は何人いるだろう、世界中でものすごい数だ、きっと。


この歌について、映画の中で、黒人グループのステイプルシンガーズが言った
「この歌を聴いて驚きました。まるで父のことをそのまま歌にしているようで」
思いもよらなかった、あの歌が差別され人として扱われなかった黒人の心に響く重さを。
 〜どれだけ道を歩けば、一人前の人間になれるんだろう?
どこかの畑で、道端で、風に吹かれて黙って立っている彼等の姿が浮かび、涙が出た。
(黒人公民権運動の集会で、ディランが歌う映像もあった)
こんな風に彼の素直な歌は、混沌とした60年代をそのまま表現していた。
この映画を観ていると、それがまざまざとわかる。この映画は、ボブ・ディランという
切り口で見たアメリカ史でもあるんです。本当にスコセッシらしい作品なんだ!


ディランは唄いたいことを唄っただけ。無所属の吟遊詩人、浮かぶまま言葉を紡ぐ。
なのに、時代の寵児になった。政治的なメッセージを放つフォークシンガー、世界を変える歌!
皆が彼の挙動を見守り、リーダーとして崇め奉り、そして
彼がエレクトリックギターを持った時、一斉に石を投げつけた。裏切り者!
商業主義のロックに走ったディラン ウディ・ガスリーはどうした?
ブーイングの嵐との孤独な闘い。
弱りながらも、エレクトリックギターを降ろさないディラン。執拗なまでに続く非難。
イヤならライブを観なきゃいいし、歌を聴かなくていいのに・・・
はじめは理解できなかった、そのねじくれた感情。だって私から見たら、何も変わっちゃ
いないし、だいたい魂を売った奴がこんなに全身から歌える?
それどころか、もう何かが憑依したように広がってゆくディランの世界を見て!


世間が彼の変貌を許さなかったその理由を、時代が切実に彼のフォークを必要としていた
ことを、映画は伝える。
アメリカの不安をぬぐってよディラン、昔みたいに私達の前を歩いて、お願いだから!
溝が深まるほど、彼のうたは世の中から乖離してゆく。臨界点に達した時、事故が起きた。
ディランは暫く人前に出られなくなった。そして・・・
ラストシーンはぜひ劇場で、大きな音で観てください。きっとあなたも微笑むでしょう。
これは『ディラン』と『時代』のラブストーリー。ほんとスコセッシらしい作品でした。
どちらも魅力的な主人公で、3時間半、あっというまだよ。

No Direction Home: Bob Dylan

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しかしヤングディランのかっこ良さといったら、もう・・・!かなりメロメロになりました。
エドワードノートンにちょっと似てるね?