ベートーヴェンの耳

元旦からずっと気になっていたことがあった。きょうは今年の『本初め』のお話。
江時久さんの「ベートーヴェンの耳」を読みました。


耳が聴こえないベートーヴェンが、あれだけ多くの凄い音楽を作るなんて奇蹟だ。
それはどこかの教会に現れるマリアの聖痕や、イエスの噂話と同じくらい驚くべきこと。
だけどその奇蹟は、当たり前の事実として伝記や教科書に載っていた。
音楽は音楽、神に選ばれし才能が生みだす魔法。だからあれが、イエスの武勇伝みたいな
奇蹟の賜物だったとしても信じる。
音楽は魔法ではない。(魔法のような)表現の一つ。だけど。
彼の奇蹟は時代も国境も超えて語り継がれている、彼の音楽とともに。
でも交響曲をすべて聴いたら、その伝説をまともに受け止めることができなくなった。
音楽の強さがただ『静寂から湧きだした泉』じゃ収まってないから、
その奥にもっとリアルな何かがあるんじゃないかと思って。


江時さんは『耳硬化症』という聴覚障害をもって生まれた人で、この本は彼自身の
「聴こえる」と「聴こえない」の狭間で生きてきた人生を、ベートーヴェンの生きざまと
照らし合わせて書いている。
遠くで話す声や小さな音は聞こえないけれど、自分で弾くピアノの音や音楽は聞こえる。
耳硬化症は聴神経の異常じゃなく、音の伝達経路に障害がある病。
ベートーヴェンはある日突然、まったく聴こえなくなったのではなくて
自分と同じ病だったのではないか、と江時さんは言う。
ベートーヴェンは無音の中に音楽を見出した聖ルードヴィヒではない。
だいたい聴覚障害をもつ者は、耳鳴りが常に響いているのだから、と笑う。


耳は聴こえていた、とても特殊なかたちで。そして、それは科学の進歩と共に証明される。
でも、遺骨を研究した結果のこと。本当の聴こえ方なんて、彼自身にしか分からない。
なんて孤独な、それは簡単なことじゃない。
江時さんは、その病とともに生きていかなきゃならない人生、それが心に与える容赦ないダメージと
心の歪みを本当に正直に書いている。悲しくなるぐらいリアルに。
だからベートーヴェンが変人だとか、無礼だと言われる言動の理由は、
人と普通にコミュニケーションが取れずに傷つきすぎた心の防衛本能の結果だし、
そして心の苦しみ歪みとたたかう記録があの音楽で。この本を読むと胸に突き刺さるほど理解できる。
彼の魂の強さと美しさは半端じゃない!だって音を聴いて、歪んだ音がどこにある?
歪みをうねりに、沈黙の世界を美しいさざ波に、音の波がイデアから実在に変わったとき・・・
彼の耳は聴いていたんだ、自分の作った音楽を。
ああ、よかった!

ベートーヴェンの耳

ベートーヴェンの耳