Today#95 音楽と、闇と、あなたと、わたし

今晩は、久し振りに音楽を聴きました。
通勤中や帰宅後、今週はまったく、かけらも、音楽を聴かなかった。
つまりは食欲がない・・・ってわけ。
ちょっとした病にかかってしまったのと、まあそれが全部か、よくわからない。
視界がめがね型のフィルタに遮られて、すべてが狭く閉じている。そんな感じ。
昨日の夜眠りながら思った。“風通しがわるい”
ハートがカビてくる。ビートなんて取れやしないよ。助けてピート、それでも空回り。


めがね型のフィルタを壊す必要がある。
理性によれば、「超強力な破壊のすべは何かっていうとあなた、瞑想するといいよ」
理性に従ってみよう、このままじゃまずい気がするからな。と思ってその瞑想の為に
CD棚から自動的に取ったのは、なぜか4ヒーローだった。
横になって頭をカラにした。からだの制御をOFFにする。意外と時間がかかった。
ちょうどおでこの辺りに出てくる、『第3の眼』と呼ばれる無意識のスクリーンてやつに
今夜ゆっくりと、踊る時間 の五感の感覚が映し出された。
4ヒーローの音楽がフロアへ導いたのか。
そんな感覚を狙うどころか思いつきもしないまま、自動的に選ばれた音楽が。


踊ることは瞑想と似ている。もしかして「同じ」かもしれない。
踊っていると、ある時間から、肉体は理性の制御から開放されて
勝手に全身がうごき続けるようになる。それはもう無意識の領域。
足元の地面、地球の核からドン、ドン、と押し出されるようにリズムが湧き上がってくるので
それを足で受けとると、わたしたちは否応なく、ポップコーンのように弾け飛んでしまう。
大地のリズム ってやつだ。言葉通りのね。


15年ほど前、深夜に「アニマ・ムンディ」という、精神世界をひたすら感覚で追う番組がやっていて
その中で『人はなぜ踊るのか』というテーマの回があった。
アフリカ人のダンスを映しながら、地球の放つリズムを表現していた。
裸足で土から跳躍するからだは、本当にリズムに押し出されたポップコーンだったし
ブラッドベリロケットマンだった。
この一つの肉体は、どこまで飛んでいってしまうんだろう。いつまで続く?
あなたが悩み事や、読みかけの本や、愛する人の言葉なんかを思いだすまで続く。
そうやって地面に降り立ったとき、混沌としていた心がクリアになる時もあるだろうし
暫くして、ある日唐突に・・・踊る時間や、瞑想する時間と『世界』がつながったりする。
(ああ、そうか。あの言葉はこういう意味だったのか)などと、現実のなにかに気がつく時
それと、踊る時間は、けっして無関係ではないんだよ。


心が曇ったら、空を見る とインディアンは言う
時間をわすれて、ただ空を見上げているのも、瞑想や踊りと同じことで
心の汚れが目立ったら、そんな風に一つの肉体を完全に開放して、森羅万象のなかに溶けてしまえ。
答なんか無理やり求めなくていいんだ。
汚れがとれたら、地面に降りて、美しい世界を見ようね、日々。

Creating Patterns

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