Today#99 最近の音楽映画?3本立

うう、忙しかった・・・。
先週末、勢いこんでレンタルしたDVD3枚。まああったく観ることができぬまま
あっという間に返却日です。
外はこんなに天気がいいが、しかし。きょうは自宅で3本立と決めました。
あらこれって、最近の音楽映画?無作為に選んだ3本、共通項は音楽。


まずは『8mile』
エミネム主演のヒップホップ映画です。
エミネムもヒップホップもあまりよく知らない私には、発見が多い映画でした。
舞台はデトロイトです。街の空気だったり、暮らす黒人達の生活状況、『危険な街』と
いわれるゆえんや、逆差別(白人が差別される)がリアルに感じられた。
少し青に転んで、暗めの色彩で街を描いている。デトロイトのイメージ。
日頃デトロイトテクノバカを自認する私には、あの無重力のように美しい内面音楽が
この殺伐とした街から溢れてきたことに、胸がつまる思いでした。
あ、でもこれはヒップホップの映画だから。デトロイトテクノは出てきませんよ。
でもね、テクノもそうだけどヒップホップの音楽が、街の片隅から生まれるさまは感動的だ。
ヒップホップのMCバトルが映画の核で、逆差別されるエミネムVS街のギャングスターが
45秒間のDJにのせて、お互いにマイク片手に向き合って、ラップでファイトするんだけど
その姿にふっと、日々街角に言葉が生まれ、音楽が始まるってことを見せられる。
この映画を勧めた先輩が「ちっちぇえ世界の話なんだよ〜」って何度も言ってた。
そう、ちっちぇえ世界のことだから、そこで生まれ、その場の人々だけが共有する音楽の
暖かさを思う、せつなくも感じる。最近ライブに行ってないな、そろそろ路上の音楽を
食べにいこうか。そう思った映画でした。


続いて『ピアノ・ブルース
マーティン・スコセッシBlues Movie Projectの一本です。すっかり見逃したやつ。
クリント・イーストウッド監督作品で、確か衛星放送でやって、映画館ではかなり短期間
しかやらなかった。
タイトル通り、ピアノのブルース音楽を追った作品。レイ・チャールズが多くを占めている。
ピアノが奏でるブルース、その一部は私がジャズって思ってた音楽と被っていた。
ジャズとブルースって境目が曖昧で、その判断は音楽的分析もあるんだろうけど、
決定的な違いは心の話だった。ブルースは宗教歌とつながっている という話。
或る黒人女性は、悲しいことがあるとこう祈る
 『主よ 主よ
  明日は何が来るのですか?
  今日、私の心深くついた傷がうずきます
  でも私の目は 涙を流しません』
「これがブルースだ」とブルースマンは言った。
ブルースは泣いてないんだ。もう泣けないんだよ。って、ブルース好きの友人が言ってた。
泣いても仕方ないってこと? 開き直るってこと? 本当は悲しいのに?
説明する代わりに友人は、ピーターバラカンの名言をコピーして送ってきたんだよ。
『ブルースは、ガッツとファイトだ。辛すぎて笑っちゃうのがブルースだ』ってさ。
ピアノの音はブルース音階に乗ると、酔ってるみたいに浮き足立って聴こえる。
ジャズだって同じような原動力から生まれている音楽だけど、それは芸術に昇華する。
ブルースは100年経っても路上にいる。


最後に『めぐりあう時間たち
音楽映画じゃない?と思うかもしれませんが、観たらこれは私には音楽映画でした。
サウンドトラックが、フィリップ・グラスだから・・・ なんていうファンのたわごと?
だけどこの音楽がね、大きな大きな、抗えない運命の流れを作り出していて
まるで2時間のビデオクリップのようなんです。感情と音楽のシンクロ率が物凄い!
グラス師の映画音楽のつくりかたは、いつもそう というかそうなっちゃうんだろうな。
異なる時代に生きる3人の女が、ヴァージニア・ウルフの『ダロウェイ夫人』をめぐって
運命の時間軸を往来する物語。
ヴァージニア・ウルフ役のニコールキッドマンが凄い化けぶりで仰天した。だけでなく
現実的なのに幻想的で、感情的なのに哲学的・・・という素晴らしい映画でした。
クンデラ原作の『存在の耐えられない軽さ』的な映画を、とリクエストいただいた
ichiさん、これドンピシャじゃないかな!と思いますよ。)


さて、映画の合間に眠りまくり、深夜のこのこと渋谷ツタヤへ出向いた私は
またも中古CDフロアに釘付けになったわけです。続きは明日のブログで。