ジネディーヌ・ジダンへの感謝の手紙
けさ5時半ごろ、私もう悲しくて悲しくて、胸が張り裂けそうになった。
それまでわくわくして見ていたワールドカップの決勝戦で、
ジダンがとても怒った顔で、そう『頭突き』をして、退場処分になったからだ。
ラストダンスの最後の瞬間、ジダンの顔は、少しも笑っていなかった。
チームメイトのねぎらいにも応じず、観客に手を振ることもなく
ジダンは一度も振り向かずに立ち去った。
TVやラジオや世間が、この出来事について好奇の目を向けて、スキャンダルみたいに扱うから
わたしは今日一日、とても悲しかった。
フランスが負けてもいいから、ジダンの笑顔が見たかった。体と時間の続く限り走って走りまくって
最後の瞬間に手を振ってほしかった。
退場になることをしたんだから仕方が無い。それでも、立ち去る時のあの表情、
怒りと悔しさを抱えたままピッチを去る姿を思い出すと、あれが最後の瞬間として記録されることに
本当にやりきれない気持ちになる。
私はジダンが大好きだ。
ジダンは私の父親にとてもよく似ている。
初めて見たとき、そう感じた。見た目の共通点は、坊主頭と体格だけかな、だってフランス人と日本人、
そのうえ私は父親の顔、写真でしか知らない。なんて不確実なそっくりさんだろうね。
私は父の生き写しだっていう。ジダンと私はまったく似ていない。
ジダンはボールが磁石みたいにくっついて、サッカーしているっていうよりもサッカーそのものみたいだ。
もしあの人が透明人間になったとしても、きっとおかしくない。
その試合を流れる、空気みたいで風みたいな、個人のプレーでなく全体に広がる大きい海のようだ。
本当に上手いけれど、そういう話は他のサイトにいっぱい書いてある、それ以上私が書くこともないよね。
勿論プレーヤーとして、本当にカッコ良くて面白くて、みとれてしまう。
ジダンに夢中になってから、メディアでジダンのインタビューや噂話なんかを知ると、
それはますます私の父親を思い起こさせた。
気が強いけどすごく繊細で、傷ついてばっかりで、ストイックだけど時に熱くなりすぎて自己嫌悪に陥ったり
じつは素直な感動屋だったり、そんなこと。
私の母親から聞いた父親の物語と、メディアを通じて聞いたジダンの物語
それが勝手にイコールになっただけ。
そしてどちらも本質とは外れてるのか、それとも正確に感じ取ったか、それはもうわからない。
しかしこの極私的な感情と、素晴らしく流れるようなサッカーを思うと、どうにも胸がいっぱいになる
最後の直前までそうしてプレーしていたジダンを思い出して、見ていた人。
あのレッドカードで、それまで確かに在った、純粋なサッカーをにごさないで。
立ち去る姿を思い出す、ジダン父、傷なんかつけたくない。
ただ最後の試合までプレーしたことを、思い出す時はどうか笑ってねとジダンに言いたいのと
お疲れさま、本当にありがとうと言いたいのでフランス語で書きます。
こんなことして意味あるかって?ないない。ジダンここ見ない。
ただ今日ずっと考えていて、私ができることを考え抜いたら、伝えることしか思いつかなかった。
メッセージをワールドワイドウェブの海に流すのと、ボトルに手紙入れて海に流すの、どっちが届く確率あるかな?
なんてね、私はあほだ。本当に。わかってるんだよ。
M.Zinedine Zidane--Vous avez fait votre mieux.Vous qui a lutté au dernier est merveilleux.
Quand vous vous souvenez du dernier jeu, s'il vous plaît riez dans comme.
Merci beaucoup. avec amour.
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