Today#125 冠婚葬祭の『葬』 仏様と私たち

きょうは祖母の3回忌でした。
お坊さんは言った。
「仏様はいつも、みなさんを見守っています。
 しかし、皆さんが例えば『噂話』で誰かの大切な事実を知った時に
 ああ、その人から直接話を聞きたかった、と思うのと同じように 
 仏様はみなさんの日々の出来事をご存知だけれど、いつもご本人からの
 報告を待っているのです。
 どうか、語りかけてあげてください。仏様はそれを楽しみにしているのです。」


…当たり前のこと、と思う?なんでもいいじゃんって思う?
わたし、このお話を聞いて、ああっそうか!ってくらくらしてしまった。
仏様はいつも天上で見てくれている、私の心の中もなにもかも知っている、
だからお墓や仏壇の前に立った時、私は語りかけるんじゃなくて『思って』いることが多かった。
ただ心を素の状態にして、わたしはこんなだよって見せた。
でも一人暮らしだから、時々写真の前でつらつらと語りかけることもあって、そういう時には
なんだか知らないけど泣き出したりすることもよくある、告解のような精神状態なんだろうなって思う。
虚勢を張ったりうそをついてしまった時に、仏様はその裏表を全部知っているからと思って
すべてショートカットして『見てたでしょ、あんな心にもないこと言っちゃった』とかって
言ってしまう。
うん、これは報告ではないな。あらすじも話さずに、そりゃない。
仏様はかつて『誰か』だった人で、フラットな空気のようにいる神様ではないね。
今は仏様である祖母や父、と考えたら、きっと同じひとつの現実を見つめていても
その人達の目線で、感じ方で、現実を捉えてみているんだろうと思った。
私が心に引っかかった出来事が、彼らには見過ごしてしまう些細な事かもしれないし
逆に彼らがすっごい衝撃的に思えた出来事を、私はだまって抱えて生きてるかもしれない。


だからきちんと話すんだ。これからは。
しかも「楽しみにしている」らしいしね!