Today#134 夜空を見上げて考えることでもないな。

はあ、キツイ一日だった。夜空を見上げて心を落ち着けよう…
と思ってベランダに出ていたら、落ち着くどころじゃなくなった!
あれはなんだったんだろう、なに、私の心の汚れ?
部屋でCDが鳴っていて、何かっていうとそれはボブディランのライブ盤だったんだけど
少し低めにかけていた。
終わったかな、という頃に、変な音が聴こえはじめた。
言葉にしづらいんだけど、ジーっとノイズのような音に混じって、ある一定の民族音楽的な
リズムと、ブルガリアンヴォイスに似た女声の歌声のように聴こえる何かの音。
それがけっこう長く、30秒ぐらいかな、耳のそばで聴こえていた。
明らかにスピーカーから出ているボブディランではない。
近所にその音に似た音楽がかかってるわけでもない。近くで響いてる。
驚くというより、それをなぜか自然に耳を澄まして聞いている私が居る。


それから、夜空を見るどころか耳を澄ますことに専念しちゃって
暫くじっとしていたのだけど、終わっちゃったみたいだ。
こういうの幻聴っていうのかな、私の耳は健康なのに、
眠る前や、夜中に目覚めてぼんやりしているとき、たまに聴こえる妙な音ってある。
そういうときっていつもこんな感じに、耳のそばに響いてる。遠くない、でもよく考えてみれば
ありえない音。聴こえるはずのない音。
脳が間違えて響かせているのか(記憶を再生するように、音を)
それとも本当はいつもそこで鳴っているのに耳が捉えてなかったのかな、とかかんがえる。


楽家が憑依したように、頭にメロディが浮かぶというのは違う。その感覚は、なんとなくわかるんだ。
物語や言葉や、編集なんかしてる時に何か(多分イデア)が浮かぶのと同じだと思うから。
今日のように『聴こえる』だったり、ありえないものが『見える』というのは特別身近な感覚で
それが脳の超能力的な作用だとしたらね、『夢を見る』のと同類なんじゃないかって気がする。
それらは自分の中から出てきた何か なのかなって思うとスッキリしない?
メッセージ性を求めても迷走するだけなので、ただ、何かが具現化したらしい…ぐらいの感じで。


今、細野晴臣さんのエッセイ集「アンビエント・ドライヴァー」を読んでいて
その中に、細野さんが街中で二度見た『ありえない人』のお話があった。
首から水道管のようなくねったパイプが出ていて、肌はべた塗りの灰色、クレーターのようなでこぼこで
そして、のっぺらぼう。
しかも驚きなのが、その話を知り合いにしたら、僕も見かけたことがあるって言う。
細野さんが見たのとは別の街で。
これはなんだろうね?宇宙人だなんて言わないでね、たぶんそうじゃないの。
細野さんはけっこう色々なものを見てしまう人で。私は耳にくる、細野さんは視覚にくる
それだけの違いなんじゃないかと思ってしまった。
それらが例えば運命を暗示したり、自分に必要なヒントだってわけじゃない。見事に全然関係ない。
不思議だなあ〜 なんて心に引っ掛けることでもないし、ただ珍しいので記憶に残ってるだけの出来事。
このことに意味を求めるとしたら、やっぱり私は、心の毒出し説を唱えるかなぁ…。デトックス
ありえないものを見たり聞いたりすることって、精神病に結び付けられがちだったりするけど
分析するほどのことでも、ないと思うのよね。
みんな見てるでしょ、夢と同じだよ。ってのが正解な気がする。どうかなあ?


せっかくなのでリンク↓

アンビエント・ドライヴァー THE AMBIENT DRIVER (マーブルブックス)

アンビエント・ドライヴァー THE AMBIENT DRIVER (マーブルブックス)

細野さんの文章、好きです。