「クラッシュ」する人生

キリスト教の大前提、
「私たちはみな、神の子供です。」
母親は、私の中学校の受験先を選んでいるとき、学校説明会で開口一番に話されたその一言で
娘をこの学校へ行かせると決めた。
中学受験には、親の面接という科目もある。そして信じがたいことに親の身なりや財力で
合否を判断されることなんてざらだった。
母親は母子家庭を理由に落とされることを予測し、恐れるよりも、そんな差別的な学校は願い下げだと笑った。
でもほんとうは不安だったと思う。のちに私の母校になる中学校で、キリスト教の大前提に出会った母は
差別なく平等に、誰もを神の子として扱うっていう考えに深く感動した。差別なく。世界の誰もを平等に。
愛する。


映画「クラッシュ」をみた。
私たちは日々、やさしさや諍いが交差するたくさんの道路で
転がる石のように、様々な光景を過ぎながら生きている。そして、
私たちはみな、神の子供であることを忘れている。


でも神様は時に、そのことを全身で思い出させるようにして、世界の美しさをひらっと見せる。
それは奇跡と言うし、運命とも呼ばれる。ただの神様の笑顔。
いつも黙っている、厳しい私達の父親が笑っている瞬間だ。
それがつまり、この映画がもたらす、とてつもなく大きな美しさだと思う。
「クラッシュ」はほんとうに素晴らしい。神の愛が幾つも幾つも『記録』されている。
こんなに美しい、人間についての映画は観たことが無いよ。


人生はクラッシュしなけりゃ意味がない。
クラッシュ、衝突と言うのは、ただ諍いあうだけじゃなく、自身をそのままの状態で
ガラスを隔ててではなく、他者と向き合ってコミュニケーションすることだ。
他者と接触したときの化学反応は、ガラスの奥にこもっていては生じない。
自身の欲望を満たすためだけに作られる、戦略的な0円の安っぽいスマイルや
衝突して流れる血を恐れ、思ってもいない共感や相槌を延々と続けたり
自分の理解を超えた誰かを、笑うことで黙殺するなんてこと…すべて無駄だ。
嘘とお芝居は自分を護るようでいて、自身を傷つけるだけだったりする。
衝突の傷を恐れて防弾ガラスのシェルターに入れば、何も起きなくなるだろう。
そしてそのうち『心が動かなくなる』−それは穏やかにみえても、こんなに悲しいことはない。


世界はきみのためにあると思ってはいけない。
世界のほんとうの美しさは、きみの予測などつかないところに転がっていて
唐突に現れるものだとおもう。
心が錆びついていたら、見過ごしてしまうことだってある瞬間だ。だから、
どうかその時にあなたが、神の笑顔を全身で感じられるように、祈っています。
美しい人生を 限りないよろこびを その胸に浴びすぎるほど浴びてかまわない。
だからあなたは、クラッシュして生きて。衝突で死にはしない。
魔法のマントがあなたを護っているから、大丈夫だよ。

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