マイ・ピーコック・スーツ(ロケ前夜のひとりごと)

ロケなんて今まで、何度こなしてきたかわかんない。
でも毎回、前夜に訪れる不安→プレッシャー→大混乱→開き直り
という精神コントロールを行わずにいられない。
開き直りまで至れぬままに現場へ向かうこともある。どんなに準備していたって、
完璧だと思うことなどひとつもなくて。一発勝負。
ものづくりに限らず、勝負ごとや人生のささいな賭け、日々のたたかい
自分自身が身一つで世界に向き合うこと、すべて、そうかもしれないね。


明日から2日間ロケなんだ。
その内容について書く気はないけど、今回はプレッシャーが大きい。
べらべら、がんばって大きな声で話し、いくら男の人みたいに振舞おうとしたって
ただ女らしさがなくなっただけの男らしい女でしかなくて、はんぱだ、ホントにはんぱ。
恋をしたってそんなではかなうわけもない。(かなっても現場の私を見たらどん引きだ)
かといって素の文系まるだし状態ってわけにもいかない。それでは撮影を乗っ取られてしまう。
私の先輩のディレクターは、女のディレクターがその性別だけでなめられることを知っている。
からだも小さく、体力も男性にはかなわない、声も弱いし怒ればヒステリックに捉えられがち。
現場に入るその瞬間から、自身も演出しなきゃいけない。
そして私は毎回、ロケ前夜に自分自身のオリジナルキャラクターを完全に見失うところから始まる。


先輩は声の小さい私にこう言った
「女ってだけでなめられんだから、肝心なところだけ無理してでも大声を出せ。はったりきかせろ。
そしてあとはお前の好きにやればいい。俺らがお前を守るから」
私もサポート側に立つ時は、監督を全力で守るスタンスでずっとやってきた。
でもさすがに、こうはっきりと声に出して言われたら、なんだか泣きそうになった。


帰り道、奈良美智のブログの記事を断片的に思い出していた。
ipodからイースタン・ユースの「荒野に針路を取れ」という歌が流れたからだ。
昨年の青森での「A to Z」展が終わったあと、また走り出すエネルギーを奈良さんに与えた
その歌が「荒野に針路を取れ」だった。
奈良さんはブログに、とても正直に書く。
絵を描けないときのどうしようもない不安や、描きながら上手くいかない、過程の大きなプレッシャー。
ファンに向かってそんなことを素直につぶやいてしまう奈良さんが、私はとても好きだ。
奈良さんほどの確信に満ちた素晴らしい芸術家でも、そんな不安を抱くんだ。
それに比べたらどうだい、私なんて、不安になって当たり前じゃん!
その歌が終わったら、いまの私にとっての「歌」はなんだろうって思って
シャッフルを何曲も早送りして探した。自分自身を探している、そういう行為だった。
12回ぐらいシャッフルして見つかった。


「ピーコック・スーツ」
ポールウェラーの一番新しいライブ盤の演奏。もう、すごい、ものすごく針路を取りきった
そういう演奏でね、「俺のピーコックスーツの羽根を逆立てるんじゃねぇ」と歌ってる。
ピーコックスーツは彼のモッズのプライドの象徴だ、ポールは「自分の核」は譲らないと
はっきり渾身の声で、ギターで、世界に宣言している。
ポールもね、あの優男の雰囲気からわかるように、表現の不安にいったりきたりしている人で
引退宣言をしたり、時々「ライブはもうやめようと思う」なんて言いだす。
でもこんなに凄い演奏を今も行い、叫び、旅はまだ続いている。


家に帰って自分のピーコックスーツを選んだ。
それは自分を大きく見せるんじゃなく余計小さく幼く見えてしまうものだとしても、それでも
「私のピーコックスーツ」を堂々と着て、好きに羽根を広げることにした。
女だからなめられる、でも女性らしさを捨てるんじゃなく、飲み込んで泣くのでもなく
ただ、私が思ったとおりに生きるだけでいいはずだ。
ポール、あなたがライブをあの時に辞めていたら、このライブ音源はなくて
今夜はなかったんだよ。
ありがとう。

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