1972年8月のユリイカ

akk2007-05-24

阿佐ヶ谷は古本屋の多い街です。ほんとに古い本を置いている古本屋が。
BOOK OFFも愛用してるけど、私が一番好きなのは南口駅前の古本屋で、掘り出し物が多いの。
今日は、そこでみつけた古雑誌のおはなし。
100円均一の中にぽんと置いてあったけど、見つけてキャー!と叫びたくなるほど嬉しかった。
1972年8月号、私が生まれる数年前に発売されたユリイカです。

表紙の絵は、池田満寿夫なんだよ。すごいね。池田満寿夫が雑誌の表紙絵をふつうに描いてる時代なんて。
ごらんの通り、宮沢賢治の未発表資料、未発表詩、グスコーブドリの伝記の下書き稿が一挙掲載です。
もしかして、のちに全集なんかで書籍化されているのかもしれないけど・・・
もうこの古雑誌でしか読めないかもしれない。だとしたら・・・


先日実家に帰ったときに、本棚で小学生のころに買い与えられた「セロ弾きのゴーシュ」を発見して
児童向けの、ふりがないっぱいついてるやつ。我が家に連れて帰って、久し振りに読んだ。
たった一言でその場に飛んで、気温や聴覚や肌触り、賢治の心が感じるものが憑依する。
風がドウと吹く って、これぐらいの言葉をいえる人になりたい。
物語で言えば、賢治はガルシア=マルケスと同じ、マジックリアリズムの世界の住人だと思う。完全に。
そして詩で言えば・・・私にとってはあの人の詩は満天の星空で、闇に光る灯台で、天上の音楽で・・・
やっぱり、マジックリアルなのよね、みればみるほどに。
賢治が悲しみに砕け散りそうになって書いた詩は、血まみれじゃない。
心に深い刺し傷を負って、バラバラになりそうなのに、賢治の血はおそろしく透明な水になっている
そういう詩が載っていたから抜粋します。「薤露青」という挽歌。


いま膨大なわかちがたい夜の呼吸から
銀の分子が析出される
 ・・・みをつくしの影はうつくしく水にうつり
  プリシオンコーストに反射して崩れてくる波は
  ときどきかすかな燐光をなげる
水よわたくしの胸いっぱいの
やり場所のないかなしさを
はるかなマヂュランの星雲へ届けてくれ


その眼から溢れた銀の分子は波になり、賢治の悲しみをマヂュラン星雲へ、きっと運んで燃やしたんだ。
私は世界の果てはブエノスアイレスにあると思っているけれど 
もっと先の宇宙の果てはマヂュラン星雲なのか、それとも、南十字星なのかな。


私が今いちばん知りたいのは、賢治は(蓄音機の時代に!)レコードコレクターで
とくにもうベートーヴェンが死ぬほど好きで、田園にまつわる逸話はよく聞く。けれど
彼が第九を聴いたとき、どんな世界が見えたんだろう?ってこと。
賢治って色聴でね、音を聞くと色がまぶたに浮かぶ人。さらに光景がくっきり浮かぶ。
さらに、音楽を聴いていて物語が見える人なのね。心理学系の本で読んだことがある。
今夜はこのユリイカを読むにあたって、賢治のためにベートーヴェンをずっとかけていて
それで、ふと思った。第九がはじまったときに。
−結局のところ、世界は第九でできている。
それを聴いたとき、賢治の網膜に見えた光景を知りたい。


(そんな文献をご存知のかた、ご一報ください。)