蜷川幸雄の「エレンディラ」

ガルシア=マルケスファンならば
マイケル=ナイマンも好きなはず(きっと80%以上は)
じゃあ蜷川=幸雄はどうでしょうね?


ニナガワ版「エレンディラ
彩の国さいたまへ、全世界のガボファンを代表して駆けつけました。
蜷川さんのお芝居を見るのは初めてです。音楽はマイケル・ナイマンです。
わくわくしますが、しかしなにがどうあれ、ガボファン目線でしか書けないので
的確な劇評は演劇ファンの方たちにお任せしましょう。私は語れません!


ガボ作品の中でも、百年の孤独の次に有名なのがエレンディラだとおもう。
あんなに奇妙キテレツな人間ドラマ、どうしてまたこんなに愛されてるのかしら?と
百年の孤独もそうなんだけど、不思議でなりません。
でもわかるんです。
エレンディラというヒロインが、めちゃくちゃな運命にころがされるさまが
いかに魅力的で、寓話としての世界へ魂を引き込む力があるかということを。
そしてこの物語は、いかにも視覚的な刺激が強烈なお話です。
映画化もされているし(観てないけど)お芝居も多く行われています。


さて、今夜みたものは。
見世物小屋へようこそ』というキャッチフレーズがポスターに刷られていました。
これは、これは。
舞台で生のマジックリアリズムが見られました。全編にわたってではないけれど、そこかしこに。
極端にデフォルメされた人物や空飛ぶ○○○(ごめんなさいこれから見る人の為に伏字)
「大きな翼をもった老人」も出てきます。
見世物小屋としての演劇という姿勢がおもしろくて、きっと天井桟敷とかこんなだったんだろうなー
と思ったりします。
でも見世物としてのうさんくささと、マジックリアリズムはまったく別物です。
見世物小屋の奇妙なおもしろさだけでなく、それに慣らされたころにすっと現れるマジックリアル演出。
それがとても印象的でした。
それは心をさらいます、ときにナイマンの音楽とともに現れるものだから、そんなときは特に。


エレンディラはラブストーリーの側面もあります。
あまりに色々なことが起こるので、ラブ自体はひとつの要素でしかないのです。でもとても大事な要素。
ニナガワ版エレンディラは、そのラブを全面に押し出して、一大メロドラマにしてしまった!ので
びっくりして開いた口がふさがりませんでした。
これはまた全然違う話になっちゃったなぁ・・・というのがラスト第三幕の「エレンディラその後篇」です。
オリジナルストーリーには無いその物語は、無慈悲で無垢な物語の終わり(しかしこれが素晴らしい)を
引き継いだお話。
もう、ガボファンきっとみんながっかりです。
完全に演歌の世界です。
でも何のかんのいって、最後の最後まで見せ場はあり、唖然とする中にも一筋のマジックリアリズムが射し込む。
だからガボファンはがっかりしても、最後まで見なければいけません。一瞬だけど強烈にガボを感じる場面があります。
ナイマンの音楽はとても良かったのだけど、すごいメロディの歌なのに、演劇的日本語歌唱(くせのある大熱唱)
で歌われるために違和感がすごくて、ちょっとがっかりです。
日本語が悪いわけじゃないと思う、あっさりと彷徨うように歌えばいいのに。だってナイマンの音楽よ。
歌唱は数曲あるけど、一曲だけ、エレンディラの無慈悲な祖母が過去を思い出して絶唱するミュージカルシーンは
これは本当に素晴らしかった。楽曲の異様な美しさ、なんかものすごい揺さぶりをかけてくる。
複雑な構成の歌だけど、演者の表現が最大限に引き出された壮絶なものでした。


第三幕まである大変長いお芝居でした。
でもセリフもストーリー展開も、原作にとても忠実に作られていた。
あくの強い演出だったけど、コイツ、ガボの本質をわかっててオレ流で昇華させまくってる!と思わずにいられなかった。
ガボの世界がナイマンで彩られ、ニナガワ流日本のアンダーグラウンドわびさび演出で爆発している。
こんな組み合わせなかなか体験できないと思うので、よかったらご覧あそばせ。
http://hpot.jp/erendira/