川井憲次シネマコンサート

例えば、押井守さんの「イノセンス」を劇場で二度みたのはあの音楽のせいだ。
そのあとまた観たくなってDVDで二回借りてる。
(これは、一本でも多く観たがりの私には超珍しいリピート率の高さ)
でもサウンドトラックのCDは買ってない。音楽だけを切り取って耳にしたところで
その音楽は映像を欲するし、映像はその音楽なしじゃいられないとわかっているから。


川井憲次さんの作るサウンドトラックはそういう音楽だとおもう。
押井さんの作品世界の半分は川井さんの音楽でできている。
きょうはその川井さんが、15年ぶりに開いたというコンサートに行ってきた。
オーケストラ一式合唱団付きに、ドラム3台、ピアノにキーボード、パーカッション
8台のティンパニ、川井さんのギター
さらにゲストボーカルや、民謡歌唱グループ・・・ステージ上は人でいっぱい!
なんかもう、編成だけみたらボアダムスみたいでしょ。すごい豪華。
冗談みたいな歌も、うつくしいオペラも怖い音楽も、ブルガリアンボイスのような民謡も
まったりした川井さんの総指揮でひとつにまとまる。
川井さんは『題名のない音楽会』の司会者じゃないかと思うほど朴訥としたおしゃべりをしながら
押井作品をはじめ、「リング」や香港映画の「墨攻」などのさまざまな劇映画の映像とともに
音楽を演奏するの。
スクリーンに映像を流しながらライブしているんだけど、時折、映像がどうでもよくなるほど
凄い瞬間がやってくる。
目はずっと映像をみているのに、意識が音楽にさらわれてしまう感覚。
頭のなかで、別のもうひとつの映像や風景が浮かんで、それを観ているような。
幻や、想念をみているといったほうが近いかもしれないな。
普通のライブではこういうこと、よくあるし、DJライブなんてそのかたまりの中を飛んでいるけれど
フィルムコンサートでこんなことって、あるんだな。
目の前には、大好きな押井さんの映像が流れてるのにね。頭の目は別のものをみつめている。


不思議な体験でした。
前述の「イノセンス」の音楽では、別のシーンが頭の中に溢れていた。
それでまたまた観たくなってしまった。そろそろDVDを買おうとおもう。
川井さんは本当に自分が『裏方の人』だという意識でいるんだな、と微笑ましく思ったのが最後のひとこと。
「きょうはとても楽しかったです。明日から通常の業務に戻ります。またどこかのスクリーンで会いましょう」
だって。
ステキだなぁと思いました。できれば何年に一度かでいいから、たまにはライブやってほしいな。
素直に感動しちゃったから。
それまでは、スクリーンでお会いしましょう。川井さん。