いとこの披露宴にて。

私のいとこが結婚した。
結婚式は親兄弟だけで行い、先日、親戚を集めて披露宴をした。
豆腐が自慢の懐石料理屋で、とてもステキなお食事会だった。
私はなぜか新郎新婦と向かい合わせの席に座り、久し振りに話すいとこと奥さんと
3人で、わらいっぱなしでごはんをたべた。
これは実にふしぎな、ふしぎな事態なのだ。
だって彼とまともに話したのは、小学生のとき以来なのだから。


こういうとき、人の超自然的なコミュニケーション能力を改めて感じる。
そこに愛があるかないか、日本語でいえば『相性』のひとこと、それを瞬時に察知する能力。
私たちは日々、空中バイクで時間を駆けぬけ、どこかで出くわす。
そのときその場に、愛と笑いが起きたなら、それは
全然関係ない、ここに居ない誰かや誰かのおかげかもしれない。


私が中学生になるまで、そのいとこ一家とはいつも一緒に過ごしてた。
歳が近い彼と、彼の姉さんと、私の3人でいたのは母のお仕事のせいだし
私に兄弟姉妹が居ないから、なんていうよくわからん理由もあったりした。
たまに姉弟の絆がかいま見えるとき、ひとりっこが何を思うかなんてことは
きっと親たちは思いもよらないんだろう。
その瞬間みえるのは、おそるべき『他者との距離感』で、家族は結局のところ母親だけで
同じぐらいの歳の誰と遊ぼうが、それが親戚だろうが、他人なのだ。という孤独の闇だった。
暗い子供だ。そして醒めた子供だ。うらやましいと思う権利もないと思ってた。
どうしたって、私にはきょうだいは居ないし出来ることもないと知っていたから。


その闇がぶっ壊れたのは、彼らと会わなくなった中学校のときだった。
暗い醒めた子供は、わざと地元を離れて誰も知る人のいない環境に身を置き、自然と
コミュニケーション総あたり戦を行った。
ひとりっこが一人を嘆くのはあほらしく思えて、一人の両足で立って生きはじめると
他者との距離感よりも他者のおもしろさや、他者の魅力に夢中になって、たのしくてしかたない。
そのうち他者っていう概念すら消えてしまった。暗い子供はおめでたい少女になった。


けれどいとこたちは、とくに弟の彼は、きゅうによそよそしくなってしまった。
思春期のせいかな、私が思ったままを話してもろくに応えず、敬語を使うようになった。
敬語は最大の壁である。とそのときの私は感じたし、壁をつくられたら私はそれ以上近づけない。
縁は薄れて遠のいた。
私がのうのうと、エスカレーター式で高校に進学してる時、いとこは受験で痛い目にあっていたり
衝動にまかせて映像の専門学校やら大学へ行く私をみて、いとこは浪人しながら「うらやましい」と言った。
私はばかみたいに「好きにやりゃいいじゃん」としか言えなかった。
うまくいかずに苦しんでる人にむかって、本当にばかみたいだ。
でも、かれがはじめのいっぽを踏み出さないだけのように見えた。そのときは、その瞬間は。道は無限なのに。


私が働きはじめてから、彼がニューヨークへ留学したと聞いた。
そして数年また会わず、久し振りに会ったとき、いい顔になったなぁと思った。
彼は私に、自分の作品集をみせてくれた。ずっと絵画の勉強をしていた彼の絵は、普通の油絵から
ニューヨークでの日々を経て、独自性と幅広さを得てすごく面白くなってた。
作品集をおそるおそる見せながら、彼は私がクライアントかのように、やっぱり敬語で話してた。
でもその敬語には壁がなく、先輩にたいするような話し方だったから
私は後輩に話すみたいにして、東京で職探しをはじめる彼に、知りうる限りのアドバイスを話した。


そして数年後のいま、私たちは彼の結婚披露宴で久し振りに会ったのだ。
そのとき、私達はよそよそしい他者同士でなく、先輩後輩でもなく、ただのいとこ同士だった。
ぐるりと回って元に戻ったようでいて、戻ったというわけじゃないんだなと思う。
私は今までのいつよりも彼に親近感をおぼえたし、温かく感じた。
彼は自分の作品集をまた見せてくれた。すごい量になっていたし、相当に良くなってた。
奥さんとは、ニューヨークで出会ったって聞いた。私はすぐにその子が大好きになった。
きっとこの子が、私のいとこを素晴らしくしつづけているに違いない、と確信した。
いい関係だと思う。とてもすてきだ。夫婦になる人たちってみんなそうだ。


ふとこぼれたように、彼は奥さんに言った。
あっちゃんはね、ずっとアートの人なんだよ。俺なんかよりずっと前からアートなの。
私はビックリしてしまった。
い、いや映像なんだけど・・・。絵へただし、あたしCGとか作れないし・・・。
そう、映像。アートだろ。
うん。アートだね!
にっこにこ笑う新婚ふたりを前に、私は思いきり目からうろこが落ちちゃったよ。
映像は、そういえばそうだ、芸術だったね!
あたしもがんばるよ。とこっそり思った。本当におめでとう。