中華街大通り

akk2007-11-28

仕事で関内へ。
午後、しばし中華街を彷徨いました。
『11月28日の中華街大通り』


ああ、もうまるっきり香港の空気だ。
今日、香港のイメージに再会できるなんて思わなかった。
このところ心象風景の中の都市について考えていて、東京よりも香港のことを思い出してる。
押井さんの「イノセンス」をまた観たからだし(香港そっくりの近未来都市が出てくるから)
気になってウォン・カーウァイの「恋する惑星」をまた見直したりしていて・・・
香港へまた行きたい、と思うのと同時に、都市の奇妙な淵だったタイガーバームガーデン
今はもう無くなってしまったんだよな、と思うと怖くて足を止めてしまう。
あの場所がなくなるなんてかなしい。華美な異様なあの庭は、とても人工的で愛想なく、でも古くて
自然風景としてみる『都市』にとって(東京にとっての埋立地のような)土の淵だった。
極彩色の動物像にかこまれている、みょうな海の風景が忘れられない。
あれから15年後の香港。再び行くのが怖いのは、あの場所がなくなり、そのあとに
都市が変貌をとげていやしないかっていう不安、それだけ。
ギンザや表参道みたいになっていたらどうしよう、小奇麗なビルが並ぶ、便利でおしゃれな
のっぺりしたのっぺらぼうの都市になっていたら・・・


でも、きょう中華街大通りの空気に触れたら、瞬間たしかな感覚が蘇った。
香港の喧騒が失われるはずはない。
道沿い、湯気立ちこめる飲茶のワゴン、祭りのような中華灯篭、大きく舞う漢字、狭い店、
格式と華美と路上のコミュニケーションが織り交ざる、あの・・・雑多で完璧なデザインの都市。
街も人々も変わるでしょう。欧米の風も吹き続けているでしょう。
でも、中華街はどの国でも変わらない美学がある。
何十年経ってもそれを求めて人々が訪れる、そのように、香港の都市の美学が歪むことはないんじゃないか。
ほら、いつ来ても同じ空気だ。中華街大通りをあるきながら、心が軽くなりました。
毎日東京に暮らしてるうち、知らぬ間にそんな目隠しで覆われてたんだな。あたしの心と私の目。
1時間ほどの散歩だったけど、ほんとにいい息抜きになった。


関内なんて、電車で一時間ほどで行けるのに
中華街に来たのは、数えるほどだよ。