2008年映画初め 「エンジェル」

タロットカード殺人事件」が例年よりも早めに公開〜終了しちゃったので
ほぼ毎年恒例だった、新春ウッディアレン初笑いは、なし!
という訳で、正月は路頭に迷ったウッディファンが多かったことでしょう。
その中の一人が私ですが、たぶんそんな誰とも被らないだろう映画で今年はスタートです。
日比谷シャンテにて「エンジェル」観てきました→ http://angel-movie.jp/


フランソワ・オゾン監督作品、初見です。
ただ本作も、旧作も、予告編だけはなぜか劇場でしょっちゅう目にしていて、
それを観るかぎりでは、なんか抗えない引力を感じていました。
好み云々を超えた、画面に引っ張られるような引力。
俳優たちの『顔』が・・・あたしを引っ張るんです。なんっか気になる表情だったり
どきっとするような目だったり。気になってしょうがない。
「エンジェル」はとにかくロモーラ・ガライちゃんの表情の変化が凄い。振り回されて目が離せない。
強烈な存在感でした。他の出演者も凄いんだけど。超敏感な演技してるよ。


リアルで危なっかしいシンデレラが、ガラスの靴をボロボロに割りながら階段を上がってく
そういう感じの繊細さ、破綻寸前の純粋さと驕り、そしてダークさにみちた映画です。
若くしていきなりベストセラー作家になったエンジェルは、少女が魔法の杖をもらったかのように
次々と目先の夢をかなえていきます。
あらゆる『ごっこ』が現実生活になり、少女は浮かれて、大人への階段をのぼることなく
エレベーターで屋上までひとっとびするわけです。足の傷みもなく、傷の手当もしたことない。
だから傷ついた時の対処は、中途半端でたくさんの後遺症を残したまま。寂しい、痛い、悲しい。
でも夢の現実生活が彼女を待ってるから、本人は見てみぬふりをしながら、ヒビ割れた靴でまた踊りだす。
しかしガラスの靴が粉々に割れたとき、エンジェルはみずからを堕天使だと悟り、死神へ魂を返す。
そういう映画でした。この危なっかしさ・・・
才能はもてあますほど溢れ、周りの人々を翻弄し、子供のままめちゃくちゃに遊びまわる芸術家。
なんっか観たことないかなぁこの感じ・・・。
そう、「アマデウス」に描かれたモーツァルトそっくりなんです。
とてもよく似ています。そして「エンジェル」は「アマデウス」級の引力がある映画だし
非常に近いセンス、世界観で作られていると思う。時代も近いのですが。
実際、これはオマージュでしょと思わずにいられないシーンが出てくる。
それは「アマデウス」でいえば、死神の訪問にあたるシーンなのだけど、
「エンジェル」はそれを逆転し運命の環をねじらせたような表現をしているの。
いやもう、すごい。これ、ほんとすごい。「アマデウス」のあのシーンがもたらす、寓話的意味を考えて
合わせ鏡してみると、このすごさが鳥肌立つほどよくわかると思いますのでね。
これから観るかたは、頭の片隅にでも入れておいてください。
この映画は原作モノだけど、あのシーンは演出の力をほんっとに強く感じました。


小説の視覚化はイメージの限定であり、強要であるけども、あなたが行間に見出せなかった多くの意味をみせる。
与える。それはもうたくさんの意味を、情報を、脳へ。
意味どころか、行間にある(のに見えなかった)物語、さらに小説外の別の世界まで繋げて地続きにすることだって
できちゃうんだよ。すごいね。
まさに、これが映画だ!・・・だと思って、やられて。フランソワ・オゾンすげぃよ。
もういい加減、「8人の女たち」も「スイミングプール」も「ぼくを葬る」も、観るわ。