築地、魚河岸、隅田川

会社が築地に引っ越した。
以前は銀座にあって、今もそれなりに近いのだけど、銀座へはさっぱり行かなくなった。
築地はとてもすてきだ。魚市場がすぐ傍にあり、場外の商店街、大きな(色褪せた)魚の看板をみると
もうそれだけで、うきうきして胸がきゅんとする。
国立がんセンターが近くにある。私の父が生きてるときに一度、お世話になったところ。
私は毎日、その看板にこっそり挨拶しながら休憩にでる。


魚も乾物もそんなに安くない。ここは観光地で、ときどき観光客の団体さんとすれ違う。
場外の人々は活気のひと押しで、観光客に口上をのべている。私もつられて(なぜか)高野豆腐を買った。
さっき食べた、おいしかった。
魚が多いけれど、いろいろな卸問屋がある。お店は寿司や海鮮の丼屋が多い。
だけど深大寺そばが!違和感なく並んでいる。喫茶に入ると丼&コーヒー。建物のすきまに壁もなくある
カウンターだけの丼屋、寿司屋、魚屋。最高だ。
私はお昼休みにほとんど毎日、旅に出ている気分になる。きれいなビルがそびえ立ち、その隙間で。
路地裏と広い道路、低い建物、ビルの間隔がだんだん広くなる。水辺が近い。


この場所の素晴らしいところ。それは、隅田川まであるいて行けることだ。
晴海通りをまっすぐ行けば、勝どき橋が待っている。
海の匂いが溢れてくる。天気が良くて、私はとても久し振りに隅田川に会った。
この川幅!そして水辺の水深の高さ!!コンクリートの遊歩道ぎりぎりにせまる水!
隅田川、わたしはあなたがとても愛おしい。
水上バスやボートがゆっくり通る。水辺の倉庫、ビル。旭倉庫はまだそこにある。
はじめて隅田川に会ったときのことを思い出す。高校生のころ、水天宮のほう。
もと倉庫だったギャラリーへ行って、その場所、隅田川、知らない小さな街、すべてに愛しさを感じた。
そのギャラリーはその数年後に閉鎖してしまったけれど、隅田川は流れている。
相変わらずぶっきらぼうに、素直な粗野さで、猫みたいに人間にかまわず好きなように、圧倒的な存在感で
水が足元そばまで満ちている。揺れて漂い、東京湾へ。
ここは私の聖地だ。川べりのベンチもてきとうで、何年経っても海風にさらされて堂々と居る。
休む人々の距離が遠い。ちょうどよく離れている。このベンチの目的は、川を眺めることだからそれでいい。
私は隅田川が愛しくて、何度も水辺で撮影をした。じぶんの映像に出したくて、そのけなげな愛だけで。
ここは埋立地の一号地だ。今は何号地まであるんだろう。
私が東京らしさを肌で感じるのは、新宿でも渋谷でもなく、この川沿いだと思う。
一号地はずいぶん古い場所なのに、今だに、埋め立てられた水辺は隅々まで『都市』に成りきろうとせず
剥き出しの土地と海が、波打って流れてる。私は隅田川のそういうところが大好きだ。


ここで、なにを。
水辺のベンチに座ったとき、川と空を眺めながらむしょうに第九を聴きたくなった。
だけどipodを置いてきてしまった。だから思い出して記憶の耳で、断片的に、すこし歌いながら
音楽が心の中と、空気を微小に震わせて私の声と、まざって切れ切れになって
隅田川あたりを舞っていた。
水面のきらめく光と、都市の切れ目のコンクリートを打つ水、橋を渡ればまた別の街、ひとの営み
私は一瞬、押井守さんの「パトレイバー2」の告げる鳥の目線になって
空から都市を見下ろした。
とても美しかった。それは、狭いちいさな地点で起きる悩みやかなしみなんてものが、すべて
きれいに輝く夜景のように街々にあって、その上を飛び回っている感覚だった。
神様は鳥の姿をして、上空からひかりのまちに見えない粉を(花さかじいさんのように)振っているのだけど
私達はほとんど気づかずに泣いたりもがいたりしている。
父と子と精霊を思い出せ。
音楽は舞って、そのときあたしの耳へ、それから心に満ちてあたしの身体を越えて、東京からなにから浄化する。


仕事場へもどりながら
いまは天使の、フィッシュマンズの佐藤さんがふと歌う。
・・・みんなが夢中になって 暮らしていれば べつになんでもいいのさ・・・