神秘のモーツァルト/ヴィオラソナタ・ショスタコーヴィチ

過ぎていく時間を遡るのは無理なのです。タイムトラベルでもしなければ。
けれど、過去からあっさりと現在へやってくるのが音楽です。
スピーカーの中でいつでも歌っており、過去の人が奏でているそれらは
生きている私達の風景のなかにするりと入り込む。
映像や文学や美術と決定的に違うのは、『視覚』と『思考』に無関係なことで
それなのに『思考』は飛びまわり『視覚』は音楽によって彩られ、形を変えて
ときにすべてを奪い、聴く人を音楽そのものにしてしまう。
さて、ここで二人の『聴く人』が、音楽の作り手を追って、音楽とともに
ものすごいタイムトラベルを敢行した記録をご紹介します。

神秘のモーツァルト

神秘のモーツァルト

「神秘のモーツァルト」は文学で、「ヴィオラソナタ」は映画だけれど
このふたつの表現はとてもよく似ているのです。
これらはびっくりするほど『音楽』だったってこと。
音楽そのものだ。時間軸を縦横無尽に行き来して、現在に過去が入り込み、過去へ飛び
楽家の死の間際へ行ったかと思えば、幼少時代へ遡る。現在の風景、また過去。
この構成力のすさまじさは、SFを越えている。時間と場所を飛び越えるのは作者、監督の思考で
その思考は音楽なんです。だから、文学と映画は音楽のように、音楽を表現している。


モーツァルトショスタコーヴィチの伝記、記録、評論はいくらでもあって
それらは歴史を捉える資料としてとても大事で、ひとりの芸術家の人生を追想して
思い描くことができるっていう物語の側面もある。
「神秘のモーツァルト」は伝記って言える。手紙の抜粋や、モーツァルトを取り巻く状況、
どのような時期にどんな作品を作ったのか、そういったことが書いてある。
けれどモーツァルトの人生と思考と音楽を、こんなにひとつに感じたものはないし
その音楽が、私の聴く現在の耳と繋がった、という感覚をダイレクトに知ったのは初めてだ。
装丁も美しく、堀江敏幸さんの訳がまた・・・堀江さんの作品かと思うほど静謐で、一瞬でどこかへ
連れていかれてしまうので、堀江ファンも必読です。


ヴィオラソナタ」は、私の敬愛する映画監督トップ10に常駐のアレクサンドル・ソクーロフの作品です。
この人がショスタコーヴィチの映画を作る。もはやそれだけで、例えば「アマデウス」のような
はっきりくっきりした伝記映画じゃないことは明白です。
ソクーロフは時間の感覚を狂わせる映画を作る人です。時計の針が消え、方位磁石が狂う・・・
この作品はさきに書いたように、やはり時間を飛び回る構成で、そう考えるとソクーロフ作品として
必然のなりゆき!と思う。けれどこの作品が凄いのは、ソクーロフが捉えた(選んだ)映像が
ショスタコーヴィチが視た(内的)風景を映し出してるってこと。
それらのカットが、ショスターコヴィチ本人の映像、写真と交じり合う。音楽が現れる。
かれが居た時代は激しく移り変わり、かれの生きる日々の中から音楽が生まれ、過去へ、現在へ
音楽が流れる。もうソクーロフは音楽になっていて、生まれた足跡を音楽自らの目で捉えているみたいだ。
この映画はショスタコーヴィチが生んだ『音楽』の視点から視た、親ショスタコーヴィチの映画
だと思う。そういった愛情をすごく強く感じるし、なんだか泣きそうになるほどセンチメンタルな
瞬間があり、その視点がとてもソクーロフ的で、素晴らしいのです。


フィラデルフィア管弦楽団の秘密」それからこの二つの作品をほぼ同時期に受け取った私は、ずっと
ソクーロフの作品「エルミタージュ幻想」がちらついてなりませんでした。
(「エルミタージュ幻想」のことは随分前の日記に書いてるので、ついでに。http://d.hatena.ne.jp/akk/20050312
そしてそのまま日本へ、一気に時間と場所をめちゃくちゃに飛んで、私はその続きを受け取ることになったのでした。
続きはまた明日(かな?)