スローターハウス5のかたまり

スローターハウス5」を読み終えました。
終わりたくなかった。最後まで読んで、また頭からめくりなおした。
ああ本当に素晴らしいなぁと思った。しみじみと、そう思ってるところ。


この本の半分ぐらいを読んだあたりで、映画「スローターハウス5」のことを調べてた。
ずいぶん前から映画の存在は知っていて、観たことはないのだけど
よく見たら、なんで知ってるかって監督がジョージ・ロイ・ヒルだったからだ。
私はいまだに「スティング」大好きだし、「明日に向かって撃て!」だって、
高校のころポールニューマンにはまりまくってたのは、この人の作品のせいだし
ガープの世界」ほんとうに素敵な作品だった。
その「ガープ」と相対的に似ている映画だ、とか(!)
映画を観たヴォネガットが「小説よりよくできている」と感想を述べた(!!)とか
それはそれは、ロイヒル間違いなく素晴らしいことしちゃったんだ、と思ったけれど
なによりも、もうれつにこの映画を観たくてたまらなくなっちゃったのは・・・
グレン・グールドの演奏するバッハ「ゴールドベルグ変奏曲」が使われていると知ったこと(!!!)


それ以来この小説を読むとき、反芻するとき私のなかに「ゴールドベルグ」が聴こえてくる。
そして音楽を反芻すると、「スローターハウス5」の断片が浮かんでくる。
ふたつの芸術はひとつのかたまりとなって、それはあたりまえのように
この小説がみせる『世界の概念』をもって、日常のなか、わたしのみる世界に流れる。
窓の外の風景をみながら、通る人々や雲の流れや、揺れる街路樹、これらは
今ここにあり、このように組み合わされて私の目に映ることを、定められている。
と思う。その組み合わせを崩しに、私が飛び出して走っていって、変わるのかってかんがえていると
「ゴールドベルグ」が頭の中に流れてくる。私は、世界は、刻一刻とまらずに『変奏』してること。
グールドとバッハとヴォネガットがひとつになって、私がここに生かされていることを伝える。


「ゴールドベルグ」は今まで、何百回聴いてきたかわからない。覚えてない。
わたしの生きた日々を「スローターハウス5」の主人公、ビリー・ピルグリムの人生のようにして
時間を断片的に、シャッフルするようにつなげたら、映画のように「ゴールドベルグ」が時折流れることになる。
なんて思いながら、今もまた聴いている。今夜は読み終えたから、だいじにかみしめたいと思う。


私はこの本を読んで、生死に対する考え方が変わった。
死は生がそこで終わっただけのことで、たとえば私の父はある時間ある場所に生きていた。
生きていて、今もこれからもその時間その場所に生き続けている。ただ、現在はいないしこれからもいない。
だから私は彼に会うことはないのだけど、それだけのこと。
(そういうものだ。)
時間を遡れば会えるけど、そのとき私は幼なすぎて、わけがわからない。
きっと何度時間を遡っても、その繰り返しで、いつまでも続くような変奏曲は
最後に同じメロディに戻ってくる。


でも、主旋律が同じだけで、少しずつちがっている。記憶のすみに埋もれていたものと
(暗号のように)ふっと、現実世界で再会するように。


楽譜の♪は、こういうことだ。五線譜の横軸は時間、縦軸は世界、♪はひとの位置。
現在地が示されている。
これを楽譜と呼ぶなんて、総じて人生は楽しいってことだ。なんてね。

Glenn Gould Jubilee Edition: Music From Slaughterhouse-Five

Glenn Gould Jubilee Edition: Music From Slaughterhouse-Five

今日はそんなわけで、映画「スローターハウス5」のサントラをリンクします。
よく見るとグールド一色でした!ジャケットが凄いので、ぜひ拡大して見てください。