カート・ヴォネガット的、フジロック一回休み

今日は行こうか散々迷ったのだけど、フジロック
毎年習慣のように、何やかんや言いつつも行っていたけれど
今年はお休みにしました。理由はいろいろある、にしても
以前の私なら信じられない判断だなぁと思う。
夏が来るのが楽しみなのは、このイベントがあるからだった。
遠ざかる現場、近いままの思い出。
昨日の夜、行かないと決めたときに蘇ってきたのが
初めてアンダーワールドフジロックで観たときの全身の感覚で、
きっと今夜も演奏してるだろう「Jumbo」の神のご加護のような優しさ美しさを
まるで今、体験しているかのように思い出してとても幸福だった。
記憶は遠ざからない。それをどう捉えるかだ、思い出すときに自分自身の変化を知る。
私はその五感の記憶から、深夜のコンビニへ走ってチケットを買いに行くことはなく
ただ、ただ、アンダーワールドがくれた愛と優しさについて思い出しながら
日々の生活をていねいにやさしく生きよう、と思った。
できれば、そして感動的な日々を。


フジロック一回休みと似たようなこと。
ある時期からクラブへ踊りに行くことをしなくなったな、そういえば、と
思い出すきっかけが最近あった。
ご存知のかたも多いと思うけれど、西麻布のクラブ、YELLOWが閉店したこと。
初めて行ったクラブはここだったし、狭いしいつも混んでるし、めんどうなナンパや
大失恋も食らった。だけれどなぜかいい場所だった感覚が、思い出すときの印象に強く残る。
激しく多く通ったわけでもないのに、なぜか身近な感じがしてた。そして、
どうしても踊りたくなったらYELLOW行けばいいやって思いながら、ずっと過ごしてた。
閉店するって聞いたとき、その最後の一週間、どこかで行こうかってふと思ったのだけど
豪華ラインナップはチケット争奪戦で、入れそうもないことがわかってから
YELLOW最後の一週間は、感動的な熱いハウスミュージックばかり聴いてた。
その音楽はそこでかかっていたわけではないのに、とても、踊った夜の感覚を蘇らせる。
音楽って不思議だね。
そしてライブやクラブで踊ったとき、そのときの夢中さと、思い出すときの美しさは感覚が
また形を変えてたりする。私はこの思い出すときの感覚がとても好きだ。
そのために現場へ行っていたんじゃないかと、思うほどだ。
いまは、思い出す時期なのかもしれない。日々のなかで、なにかを失いそうなときに
美しさや愛しさを思い出し、断片に再会し物語を見出す時期なんじゃないかと思う。
それが必要で、その思い出す時間がなければ、記憶は遠ざかり見失ってしまうもの。
それら記憶は、現在にアクションを起こさせるでもなく・・・ただあたしは見ている。
いまのあたしの心で。物語を見出すってのは、そういうこと。


最後の日のレポートを読んだら、踊りながら泣いている人々がたくさんいたって書いてあった。
そう、そうなんだと思う、その感覚はとてもよくわかる。
それは終わりの夜、とてもいい夜だったんだと思う。
ラストシーンには天使が現れる。笑っても泣いても、そういうものだ。


YELLOWの思い出の10曲、というのがネットで公開されています。
ああ、これがYELLOWの印象だなぁ・・・と思う感動的なハウス10曲。素晴らしいのでリンクします。
https://www.beatport.com/en-US/html/content/chart/detail/8728/club_yellow_17_years_strong
あら、フジロックの話だったのにYELLOWの話になっちゃった・・・。