お盆ものがたり〜誰かの足あと

久し振りに実家へ帰省してきました。
母親の誕生日やらなんやら、ちょくちょく帰っているようで、そうでもない。
でも、帰ると必ず連れて行かれる場所があって、それはお墓。
どんな野暮用でも、帰って母親に会ったら、父親にも会うのはあたりまえ。
それから、近くに眠ってる祖父や祖母、おばちゃん、おじちゃん。
おとうさんはおとうさん一人のお墓があって、そこに眠っている。
おかあさんはおとうさんを超愛してるので、しょっちゅう会いにくる。
でも挿したお花は枯れるし、草も生える。
お墓のお花が枯れていて雑草が伸びていても、眠る人が忘れられたなんて思わないでほしい。


お盆だから、墓地の入り口にはナスときゅうりの馬が飾られている。
これに乗って、亡くなった人々がやってくるのだから、って思うと
どきどきする。お祭りのような気分だ、来てるって思えるのだから。
おかあさんは、千の風になって の歌詞があまり好きじゃない。
おとうさんに会いにお墓に行っているのだから、お墓にいませんっていわれたら困るって言う。


おとうさんのお墓はお花が枯れていて、雑草が伸びていた。
お花はおかあさんが生けたものそのままだったけれど、誰かが来た痕跡があった。
あぁ、あの人だ。
お盆だから来て、おとうさんとお話をして帰っていったんだ。
「あの人」とわたしは会ったことがない。
幼い頃に葬式で会っているのかもしれないし、会ってないかもしれない。
もしかしたら、身近な親戚かもしれない。
「あの人」は、いつもふらりとやってくるみたいだ。
どうしてわかるかというと、ていねいにお花を挿すことなく、ただいつも
おとうさんの吸っていたタバコを一本か二本、お線香といっしょに横たえて置いて行く。
私達がお墓へ行くときには、もうおとうさんは吸い終わってフィルターだけが残っている。


「あの人」は毎年決まって来るわけじゃなく、ふと来ている。
もう何十年も、たまにそういう風にやってくる。母親は、おじの「つよちゃん」かなと言うけれど
わたしは、一族の誰かではなく、父の親友じゃないかと思ってる。
そうするとオオノさんかな、でもオオノさん以外にも父と親しかった人なんてたくさんいると思う。
いや、うん、誰でもいいんだ。私達親子以外の誰かが、時々おとうさんとお話をしにくるってだけで。


東京タワーのお土産で、展望台に名前入りのメダルを作れる機械がある。
数年前、お墓に行ったら、父の名前入りのメダルが置いてあった。
そのときはタバコがあったかどうか忘れたけど、「あの人」だなと思った。
メダルを作ってこんな東京の片田舎の墓地に持ってくるなんて、なんてことだろう。
そのとき東京タワーの眺望をみながら、父のことを思い出していたんだ「あの人」。
亡くなってから30年経つのに、メダルに文字を入力して、父の名前を刻んだ。
通りすがりの誰が見てもそのメダルの名前は、入力してる本人か、『生きている』誰かの名前だと
思うにきまってる。


「あの人」が誰なのかほんとうは知りたい。「あの人」に刻まれている父に会いたい。
お墓で、いつか会えるんじゃないかって夢をみる。
不在の人をめぐってHOPEが一箱売れる。
So it goes. そういうものだ。