スカイ・クロラ

最近仕事で、キャラクターアニメの演出のお手伝いをした。
監督はベテランのおじいちゃんで、視点の面白さにいつも驚かされるひとで
あぁこういう人でありたいなぁ、と憧れる、とても尊敬している人。
だから、わたしはじゃあ助監督やります!と嬉々として名乗っていたのだけど
あるとき、監督はわたしに「助監督じゃなくて、君はアニメ監督ね!」と言った。
うわーアニメ監督だって。そんな事言われたの初めて。ていうかアニメの演出自体初めて。
すっごく嬉しかった。
だって・・・押井守みたいじゃん!!!!!!


というのは言いすぎなんだけど、そんな仕事が終わってから先日。
押井守監督の「スカイ・クロラ」を観に行きました。
「スカイ・クロラ」は原作を読んでいたから、感情は静、でも風景は動の世界だってわかっていた。
感情に関していえば原作は、低くゆるやかな波のようで、静に飲み込まれる独特な空気があった。
日々空中で戦闘してる、それはいつも死と背中合わせのはずなのに、死は静かに淡々と
ひやりとした空気を伴ってたまに目の前に現れるだけ。
その無機質さを、押井さんはまったくいつものように、血流をながして表現していた。
無機質でクールだけど、ドク・ドクとゆっくり深く脈打っている感じ。
テンポは静謐で、だけど機械が激しくぶつかり合い、そのなかで操縦するひとに
一定の安定した血を流しておきながら、ある瞬間にめちゃくちゃに脈打って止まらなくなる。
押井さんはそういう人の感情のうねり、理性が消えて、想いだけがひとの身体を動かすっていう
そういう闘いのみせかたがすごく好きなんだな。
この作品は感情の動きがきわめて静謐なので、最後のそのノーセルフコントロール具合が
すごく際立ってせまってくる。
小説では感情の静に飲み込まれたはずが、映画では動に飲み込まれた。
こんなふうに、なだらかなところから徐々に、そして押井節大爆発を起こすなんてまぁほんとに・・・
すごいなぁと思った。この人はほんとに根っこがエモーショナルな人だって。
静の表現にしても、些細な動作になんか引っ掛かるフックが沢山あって、
そのディテールが、よちよちアニメ監督の目にはすっごく気になって、
どんな感情を表してるかって・・・で観ていくと、あーやっぱりそう繋がるのね、と
それが心の推移の芽吹きだったことを知る。
もちろんそれだけじゃなく、押井さんはさらに、見えるかどうかわかんないような
とても小さな・・・瞳の映りこみや、小道具に書かれた文字なんかで、物語の伏線を張りまくったりするから
ホントに凄いとおもう。だってDVDじゃ見えないですねこれ、とか平気で言うんだもの。
そんな細かい、世界の些細なメッセージまで操るなんてね。私だったら頭がそこまで回らないよ!


いもしない人を動かしてヒトにするのは、びっくりするほど創世記な作業だ。
ただの動かない絵にたましいを入れるってのがいかに、指先ひとつの小さな動きにしても
すべてに意味があり、そのヒトそのものの人格やアイデンティティを表現してることや
それは生きているヒトを演出するよりも楽なようで、ほんとに大変だ。
監督はそれをつくるクリエイターに伝えるだけ伝える必要があり、また、ひとりのいもしない人を
つくるのに何人もの解釈が加わって、その人は出来上がる。
神様の寄合所で、みんなで一人のヒトをあれこれ、粘土みたいに練りながら作る。
私達ヒトや動物たちがみんなそんな風に作られている・・・のとおんなじだ(違う?)
それであたしは、押井大神様がつくるヒトが大好きだ。それからその人たちが動く事象が。
とても熱い人たちで、それらの感情がスパークしても、人のご都合に合わせて動かない世界が好きだ。
それが架空の未来世界をリアルに感じる源なんだと思う。
だいたい絵とかCGって、ゼロの空間にイチ以上のイデアを実体化しちゃうんだからもう信じられない芸当だ
と根本的にいつも、すごい驚きを伴いながらみているけれども・・・
未来世界をつくっても、外見はきれいだけど中身は空っぽな映画はいっぱいある。
それは、作り手の神様たちの内面の問題だ。
だから・・・結局今回も、押井守へのラブレターになっちゃった。あたしは押井さんがだいすきです。
おしまい。