around40をめぐる視点移動

このごろ、仕事でアラフォーをターゲットにした企画をやっていて
40代周辺の女性たちの心理状態を、色々なメディアからみていた。
「負け犬」とか「勝ち組」なんていう闘争心剥き出しのあさましい言葉が流行り、今は「婚活」
アラフォーをあおり、焦燥と消耗に追いやっているのはどこの誰?
そんなんじゃあこれから先、女性たちは閉じて歪むだけだ。自由なのに。
いまだかつてないほど、環境は自由を許しているはずなのに。
それなのに、アラフォーの女性をめぐる想念は、もの悲しさがつきまとっている。
傷と苦しみが、元気に活躍する女性達のかげに見え隠れする。そのように見える。
だからこの悲しみをどうしたら拭えるものか、悲しい気持ちで考えていた。
わたしたちは自由なのに。
わたしの憑依体質は、こういった企画において重宝するもので
相手の気持ちがわからなくちゃ伝えられない、伝わらないって意味でね。
だけど、それはときどきわたしに目隠しをする。
そして目隠しは、きっとかんがえすぎのボーダーなんじゃないか、と気づいた。きょう。


今日出会ったライターさんが、アラフォーのもの悲しさから抜けられない私達に、スパッとこう言った。
「40代がせつない、苦しいっていうの、すごく日本的な視点なんですよね。」
それからそのひとは、ヨーロッパ、特に美意識の強いフランス人の考え方では
40代女性が物悲しいだなんて、決して受け入れられない視点だと言った。
あぁ、そうか、忘れてた、そういうものの見方。角度。わたしはとってもすっきりした。


フランス的視点じゃ、40代は女性がもっとも美しい季節だという。
20代、30代をいかに生きるかで、40代にどこまでキレイに花咲くかが決まる。そして50、60代の顔ができていく。
日本女性は年齢を重ねるとともに、美に対してマイナスにしか思考が向かない傾向が強い。
それは、たのしくない。それは、ひどくもったいないことだ。
ビューティー系の仕事は多くやってきたけれど、わたしはいつも、キャッキャとはしゃぐ感じを大切にしてきた。
だって切羽詰ったメイクやアンチエイジングなんて、ちっともたのしくない。だから今回もそうしようと思ってた。
だけど垣間見えるアラフォーの描写を見たときに、もしかしたら
はしゃいでもその後に空虚さが残ってしまわないか・・・とかんがえてしまったりした。
それは憑依想像の限界にたいする不安もあり、万能の治癒師でないことへのジレンマであり・・・


また、かんがえすぎだった。
忘れちゃいけない、この世界は限りなく広い。すべて取り払ってみれば、美しいひとは美しい。ひとは美しい。
ミラン・クンデラの「不滅」を思い出しちゃった!

不滅 (集英社文庫)

不滅 (集英社文庫)

結局のところね。
ここは日本だから、演歌的な演出を求められるのかもしれない、それでも
私が「不滅」の冒頭シーンを抱いているかぎり、へんなものはつくらないぞ。