音楽

かんがえすぎてわるいことなどない。
親友ふたりから言われて、私のかんがえすぎ病は思考停止であって
そもそもかんがえることが出来てない状態なんだとわかった。
そうだそうだ、いつも。ひどく悲しくなるとそうなってしまう。
思考が悲観のままで止まっている。それはあいまいにではなく、完全に打破しなきゃいけない壁だ。
いつか必ず、木っ端微塵に。


でもそのことでわたしは、昔からこんなに困っていたっけ?
そもそも、このごろなんでぐらりと危なっかしく停止と再開を繰り返してるんだろう。
それは私が大人になって、正負両方の知識がついてしまったからだ、それに疲れてた。
けれどそれに加えてきのう、じつに他愛のない、大切なことを思い出した。
私はこのごろまったく音楽を聴いていなかったのだ。
思考停止の逃避先は、本と映像に向いていた。それから安心な誰かと話すことができればラッキーだった。
(でもいつも丁度よく、安心できる人たちとお話できるわけじゃない、忙しいと尚更)
本や映画は、五感でわたしの思考停止を立て直してくれる。けれど。
そうだ、私に足りなかったのは音楽だ!とわかったのだ。
食べ物は肉と穀物だけでなく、野菜や甘いものなんかもとらないと偏ってしまうように。


その音楽はわたしの身体をうるおすようにさぁっと沁みいって、全身に駆け巡った。
まるで滞っていた血がきれいに流れはじめたみたいにして。


それは数日前に日記に書いた「音効で世界を救う」男のしわざだった。
彼とは随分会っていないのだけど、久し振りに彼の仕事をみようかなと思いついて
私が唯一知っていたレギュラー番組を見た。
相変わらずセンスいい選曲だな、効果音のつけかたの癖も変わらないな、と嬉しく思いながら見ていたら
唐突に、いーやとても自然に、もう今この人生のタイミングで私が耳にすることが決まっていたかのように。
ロレッタ・ハロウェイの「We're Getting Stronger」が流れた。
時間でいえば数秒間。だけどこの数秒がわたしをすっかり救ってしまった!
この歌はよく知っている、だからこの音楽の、数秒の先にあるあたたかい感動の波を知っている。
けれどこんなにこの歌が沁みたのは初めてだ。胸がいっぱいになった。音楽を思い出す、とても嬉しくて泣きそう。
それからCDをひっぱりだして、何度も繰り返しこの歌を聴いた。
そしてこのロレッタ・ハロウェイのアルバム、つぎはジャイルスピーターソンのIn The House、サルソウル、ジョセリンブラウン
暖かいハウスをひたすら聴いた。思考停止のリハビリ中、引き潮だった心が音楽の波で満たされていく。
嬉しくて、ただ無心で夢中で音楽を聴いていた。ほんとうにすっきりした。音楽は不思議だね。


きょうも一日ずっと心の中で「We're Getting Stronger」が響いていて、とても幸福だった。
なんにも怖くなかった。安心だった。なにがって、なにがだろう。
だたTVから音楽が流れたときに、音楽(とその映像)のもつ暖かさがひどく伝わってきて
(TVには大人の女性たちが、パーティーではしゃいだり楽器を弾く姿が映ってた)
その暖かさだ。
この歌をここに流すなんてやさしいなぁ、と彼の視点に感動する。
他愛ない数秒だけど私には、その選曲はつまり彼がいま元気で、彼の本来のソウルを失わずに、
また強くやさしくなっていることがわかったのだ。
彼が歪まず見失わずにしっかりと、大きな木のように生きている。それはなんとも安心なことだ。
そしてこの歌はいま私の胸の中にあり、あの視点の微笑とともに、言葉以上に暖かく響いている。
これは世界のある場所、過去の記憶と現在の時間軸が交差した一座標で、私が拾った個人的な宝物だ。
走って転んでもいいと思える勇気だ。
こうして彼は世界を(ちいさく)救う。この歌とともに私はアラフォー女性の悲しみを(ちいさく)救う。
 I hear a melody each time you're next to meララララ、ララ
わたしはあなたのメロディを聴く、わたしたちは強くなる。


どうしても今日はこの歌を聴いてほしくて、YouTube埋め込みリンクをしようとしたんだけど
なんか出来ないみたいなので、リンクを貼ります。
日々のふとしたときに、この音楽を耳にした暖かい安心が、誰かに伝わればいいと思う。
http://www.youtube.com/watch?v=qxfaoXT1Mmo