にじみでてしまうもの

きょうの座標、縦軸=都内のある地点/横軸=昼時の30分間
私はスーツを着て、プラカードを手にしてつっ立っていた。


スーツもプラカードも、わたしの日常には程遠い位置にあるものたちで
わたしは演出家だし、服はジーンズやらくらくスカートやワンピースを着ている。
足が大きく我儘で、すぐむくれるから100%スニーカーでがしがしあるく。
場所は恵比寿、映画か写真を観に行く場所、たまに飲んだり、夜あそんだりしてた場所。
わたしが立っていた地点は、通りがかったことはあるけど、通り過ぎていた場所。


わたしはこんなところでなにをしていたかと云うと、プラカードを手にしていただけ。
“イベント会場はこちら→”という看板役だ。
仕事絡みのお手伝い、たまたま身体が空いていたから駆り出されただけ。
スーツは私をスッとどこにでも紛れさせる隠れ蓑になるのだと思ったし
プラカードを手にしたひとの顔をしげしげと見ることもない。
つまりその30分間、わたしはわたしではなく、誰か架空の人物だった。
もしかしたら透明人間になれるかもしれないと思った。
それはとても奇妙で面白い体験だった。久し振りだ。


学生のころ、数え切れないほど多くの業種のアルバイトをした。
それらはわたしが、数え切れないほど多くの本を読みたく思うのと
映画を観たく思うのと同じような欲望で、つまり見聞して体験してみたかったのだ。
倉庫で黙々とはたらく人々の楽しみや、ホステスはどんな苦労を抱えているのか
見ず知らずの人々が数週間ともに過ごすと、どんな風に人間関係が出来ていくのか
先生はなにを子供達に教えていくべきか。他人の家の食器、大切なものと捨てられるものの基準。
それらアルバイトをしているあいだ、わたしは誰か架空の人物になっている。
カーテンのかげにはいつも、映像やの監督のわたしがじっとして見てる。
架空の人物の動きを指示しながら、わたしの眼は潜入カメラとなり、色々なものを記憶して
そしてコミュニケーションをして、様々なひとの心模様を感じ取り大事にしまった。
そのころは、この体験のすべては映像のためにあった。演出のため、物語のため。創り出す映画のために。
それは確かに私のものづくりにとても役立っていると思う。
けれどもっと単純なことで、では私は何者なのか、と相対する鏡のように、それは
見聞き体験した時間を受け止めて自分を見出していく作業だった。


プラカードマンは、たった30分でも透明人間にはなれなかった。
プラカードを見て、わたしの顔をみて、話しかける人々。TV取材のクルーには100%声をかけられる。
いくらスーツを着て気配を消してても、映像畑だと顔に書いてあるのかと思うほどだ。
私も声をかけられるとつい、いつもの現場みたいに素が出てバンカラに応対してしまう。
にじみでてしまうものがあるのかなぁ、私のなにがにじみでてるのだろう。不思議におもう。


世間話をしていく女性もいた。3組。どのひとも親しめるような女性たち、年齢はまちまち。
わたしはまたつい、アハハと笑いながらお話してしまう。外見はスーツ着ておとなしくしてるのに
どうして、気が合いそうな人たちがこちらに来てくれるのかなと不思議におもう。
・・・んーなんかやっぱりにじみでてしまうものがあるのか?なにが?どんな顔してつっ立ってるのだ!?


なぞに思うわたしの後ろを、ふらりと通りぬけた女性がいた。
彼女はイベントとは無関係みたいだ。
振り返ってちらりと見ると、彼女は線路を見下ろし、それから空をながめてのんびり一服してた。
自由でマイペースなかんじがすてきだな、と思った。仲良くなれそうな子だ。
服装もそうで、今こんなスーツ着て立ってるけど実はね、わたしもそのメーカーの服大好きなんだ、
普段はよく着てるんだよ。今なぜかプラカードマンしてるけど、ほんとは映像やってるの。
ディレクターなんだよ。あなたは?
なんて風に、ほんとに振り返ってお話したくなるような、なんだか近しい匂いを感じた。
彼女はまたふらっと、わたしの後ろを通って、すぐ近くのビルに入っていった。
古い雑居ビルだった。ちいさなデザイン会社かなにかかな、とぼんやり想像した。


暫くして、もうそろそろ終わりの時間だと思いはじめたころ、彼女はまたふらりとやってきた。
そして、わたしににこにこしながら声をかけてきたので驚いてしまった。
他愛のないこと。イベントですか?なんか今日人多いなと思って。すぐそこに勤めてて。
すごく嬉しくて、わたしは思いきり素になってお話した。
いちばんの素、仕事場でもここまでじゃない、もっと素直な、プライベートで単純な私の状態。
たぶん10分くらい、わたしたちは立ち話をして、それからお互いに仕事へもどる。
一期一会、ふと出会う似たもの同士。通りすがりのコミュニケーション。
それはとてもすてきだし、また出会えたらそれもすてきだ、と思う。


どうして、こうやって、通じ合うのだろう。
わたしがお話したいなーって顔してたのかな。
もしかして、もう私は覆面潜入カメラにはなれないのではないか、と気づいた。
きっと学生のときのような、軟体カメレオンになれる「自分の曖昧さ」はもう失われていて
いまはどこで、なにをしていようと、わたしはわたしでしかないんだろう。
スーツとプラカードに隠れることができなかった、何かにじみでてしまう自分が。
わたしはゆかいに思って、きょうの座標にすこしわらった。
がしがし足音をたてて、かまわず愉しく踊るのだ。