チャーちゃんのこと

akk2009-05-08

もう、しかるべき歳だったのだ。仕方がない。
老衰で、長いあいだ幸福だった、そうよ。寿命だった。
きのうから覚悟はできていた。今週末になんとか会いに行く予定だった。でも間に合わなかった。
実家の猫が4匹から3匹になった。きょう、チャーちゃんが亡くなった。
わたしの実家に来た友人達みんなに驚かれ、愛された、大きなチャーちゃんが。
お空にのたのたと登っていく。神様がその身体をふびんに思ったら、抱っこしてくれる。
安心なさい、チャーちゃん、怖いことはもうなにもない。
のんびりと眠りなさいね。


チャーちゃんは茶トラ模様の大きな猫で、とてもふとっていた。
野良猫だったのを、母さんが手なずけて、うちの飼い猫になった。
野良猫特有の警戒心はうすく、しかしとても臆病だった。当時はまだちいさかった。
むくむく食べて、思う存分ごろごろとして、チャーちゃんはあっという間に立派なデブ猫になった。
それがとっても可愛かった。あんまり身体が大きすぎるけれど、顔は意外と小さい。


家のなかに入ってきてからは殆ど外に出ようとしなかった。こういう猫は珍しい。
猫はだいたいにおいて、外に出たがってしょうがない生き物だから。外を知らなくても。
よっぽど外がこわいのか、と思ったこともある。
チャーちゃんはふとしたとき、突然ものすごく怖がって、すごいスピードで逃げて隠れることがあった。
それは私達が掃除中にほうきを振りかざしたり、つっぱり棒をたてにしてたりするときで
そのチャーちゃんの逃げまどう動作から、母さんは、うちに来る以前に棒かなにかで
いじめられたことがあるんじゃないかと言っていた。
わたしもそう思った。冗談じゃない、とひどく憤慨しながら。
猫はちょっと前のことをすぐに忘れる。けれど、チャーちゃんの脳裏に焼きついた恐怖は何年も消えなかった。
トラウマというのは、決して人間だけにあるものではない。
私達はチャーちゃんを思いっきり愛した。


チャーちゃんは、たいへんな臆病者だから、知らないひとが家にやってくると一目散に逃げてしまう。
でもとてもふとっているので、どどどどとものすごい足音が家中に響くし
逃げるときのドッキリ顔や、てんぱり具合や、必死に走る後姿のふとりよう(チャーちゃんは尻尾が短い)
そして、しばらく戸棚の上にのぼったままでも、そのうち忘れて安心してしまって
ゴロゴロと知らないはずだったひとに甘えたりするので、うちに遊びにきた友人知人に大人気だった。


チャーちゃんは、それでも普段はマイペースで、ときにずずしいほどの甘えん坊に育った。
あんまり食いしん坊だからって、私の食べ物に手をだすから怒ったりした。かまぼこ、玉子焼、焼肉、のり、
もっと、あげればよかったよ。


大きなチャーちゃんは、このごろやせていた。
走ったりする機敏な動きもせず、のたのたと動くか、ずっと定位置に寝ていた。
それはチャーちゃんのふとった身体に見合うスロースピードだと初めて見たひとは思うだろう。
でも違う、チャーちゃんは確実に歳をとっていた。身体が衰弱しつつあるのが、その動きでわかった。
もう私がごはんをもぐもぐと食べていても、くれ、と手出しすることもなくなった。
チャーちゃんはいつのまにか、片目がみえなくなっていた。


あるくことも困難になってトイレをそばに置いて、ほとんど動くことができなくなった、
私はついきのうかおととい、母さんにそう言われた。
猫の老衰。
母さんは、病院につれていくことをしなかった。
外に連れ出す、知らない場所、知らないひとの診察、そんな心の負荷をもう、かけたくなかったからだ。


今夜は静かな夜だ。
あれ、ふと気がついた。数日前から、猫の鳴き声が外でずーっとしてた。
めずらしいことではないのだけど、いやに長いこと鳴きつづけていたので覚えている。
庭には野良猫がよく来るから、どの子かなと何度もみたのだがわからない。たぶん一匹じゃない。
それが今夜はぴたりとやんでいる。なんだか不思議な感じがする。
さっき報せを聞いて、泣いて、ふとそのことに気づいて窓の外をみると
ほんとうに、フレームインしてきたように、庭にふらっと猫が現れた。
それはここ数日えさを食べにきていなかった、茶トラの猫。チャコちゃんと呼んでいる。
野良たちのなかでもとくべつに近しく愛している猫で、この子のためにフリスキーを買って用意している。
最近わたしの顔をみると、甘えた声で鳴くようになった。


きょうふと現れたチャコちゃんは、チャーちゃんじゃなかったか。
わたしがチャーちゃんのことを思っていたから、そうみえたんだ。
チャコちゃんは、すっと静かな佇まいで座ってわたしをみている。
こんな表情、はじめてみた。わたしが泣いていたからだろうか。
その表情は、やせたこのごろのチャーちゃんにそっくりにみえた。
チャコちゃんは、片目を怪我したようだった。半分開いてなくて、だからよけいに似ていた。
茶トラのチャーちゃんが亡くなった夜、茶トラの片目を怪我したチャコが、わたしの庭にやってきた。
それは、誰がなんていおうと、
それは、チャーちゃんのお別れのあいさつだ、
そう思えて、だからすごくたまらなくなって、チャーちゃんチャーちゃんと言った、
それから手を伸ばしてなでようとすると、猫は立ち上がってすこし逃げた。
はっとした、そうだ。
チャコちゃんは撫でさせてくれない。
目の前にいるのは、いつものやんちゃでツンデレのチャコちゃんだ。
迷惑そうにわたしの手をみて、えさ皿のまえに座りなおす。
わたしはこの猫とお空のチャーちゃんに言いようもない深いふかい愛しさを感じて
そして、なでたり目を治してやれない猫たちにこの愛しさを伝えることをした
(すなわち、えさをたくさんやった。)


チャーちゃんを愛してくれた私の親友達へ
ありがとう!