グラン・トリノ

きょうも映画のお話。
クリント・イーストウッドの「グラン・トリノ」を観てきました。
ほんとうに素晴らしかった。
手がお祈りする形をしていて、心がとても晴れている。


偏屈なツンデレじいさんと、ご近所の人々の心の交流はコメディだ。
たのしくて、あたたかい。あたたかさはじわじわと広がりを増していき、
そして、ガタン、とギアが入る。
あらすじはここまで。かならず観てほしい映画なのでこれ以上書けない。
映画館で、そのうちDVDになってからでもいい。かならず観てください。
じいさんの行動を見て、その真のたたかいに、全身で拍手をしてください。


心が感動して涙がでる、というのはどういう構造なんだろう。
涙の出方というのはふたつあると思う。
がたがたと身体が震えるほど胸がつまり、抑えきれない衝動として出る涙と
すーっと、本能のように無意識につたって落ちてくる涙。
前者の涙はとても熱くて、目のふちにじわりと溜まる。
後者の涙はつめたく、本来の水の温度ですーっと粒のまま流れ落ちる。
前者は感情のかたまりで、後者はヒトの生体反応というか浄化作用みたいな感じで
前者は頑張れば制御できるのだけど(私はしないけど)、後者はまったく制御ができない。
制御などする間も自覚もなく、いつのまにかすーっと落ちている。
グラン・トリノ」は後者の涙で、しかも驚くほどたくさん落ちた。
そういえばイーストウッドの映画を観るといつもそうだなあ、と思う。
こころの迷いが涙で落ちるのか、汚れが洗われていくのか
なんだかわからないけども、その涙が流れ終わると、とてもうつくしい気持ちになる。
静謐で、無垢で、清い気持ち。
あぁ!と空を見上げて笑顔になるような。
グラン・トリノ」はたくさんの人が劇場で泣いていた。
どちらの涙も沸き起こるだろう作品だと思う。
わたしはつねづね、涙の流れかたが二つあるのはなぜだろう、と泣いたあとに思っていたけれど
ヒトという生命体として、とてつもなく正しい、美しい表現をする魂に出くわしたときに
本能的に、この生命を見つめよ、と身体が心に気づかせるために、涙で報せているのじゃないかと
きょう思った。
なっとくだ。


グラン・トリノ
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「今、大人が迷う時代。でも、この男がいる。」
このキャッチコピーはどうかと思ったけど、今はおっしゃるとおりだとおもいます。
この魂を見よ。