女の子たちの時間

女4人が集まるとかしましい。
大人になったと思っても、だめなものはだめなのだ。楽しいのだから。
このあいだのロケでの話。私とリポーターさんとメイクさん、スタイリストさんの女4人は
集まってごはんを食べ始めた途端、「こないだの続き」のお話が再開されて
その場には15人ほどの人たちがいたのだけど、一瞬で「こないだ」の4人の空気が始まった。
私たちは周りに気を遣うことなく大笑いして、休憩が終わるとまたそれぞれの仕事をする。
とても楽しかった。わたしはカントクだから皆と一緒に帰ることができないのだけど
きっと帰れたら、帰る前にどっかでお茶でもしよーと言ってたらりとお話を続けてる、と思った。


久し振りだなぁこの感じ。
わたしは女子校時代を思い出した。駅で電車で街中でわたしたちは
笑いすぎるくらい笑い、つきないお話を楽しみつづけていた。
顔を合わせるともうだめなのだ。嬉しくなって、お話の続きが再開される。
夢中で話すからうっかり電車を乗り過ごしたりしていたあの感じ。
女4人は、少し前にあったロケではじめて一緒になった。
そのときは遠方のロケで、ロケバスのなかではじめはみんなおとなしくしてた。大人だから。
でも誰かが口火を切って、そのお話が面白くてそれぞれに言葉をキャッチボールするうちに
お話はどんどん展開していき、夢中で話すうちにロケ地に着いていた。
時間が空いたから、食事にしようとごはんを食べるときにはもう当然のように4人はひとつの机に座り
団子みたいにかたまって、キャッキャと大笑いしてた。
わたしがとても幸福に感じたのは、そのバランスのよさで、皆がそれぞれのやりかたで
地に足をつけて立っていて、素直に世界とたたかっている女の子たちだったことだ。
女の子、というのがとても正しい。彼女達は大人だし多くの人々と出会いコミュニケーションをしている。
わたしだってそうで、だけど4人は4人集まると女の子なのだ。それがとても幸福だ。


きのうつい酷く残酷に書いてしまった(残酷にすぎた、と反省する)ようなひとは他人の目をひどく意識する。
だから不自然に芝居がかってしまう(つまり仮面を被って台詞を話すようになる)のだけど、
女の子となるとそれは皆無となるもので、ただ夢中で相手とお話したくて、それでとても楽しくて
お互いがそうだと分かるから安心してしまって、お話がつきない。そのあまりに夢中で他人そっちのけ感は
男のひとはときに腰がひけるそうだ。そんなことはまったくなく、男女なく安心できれば夢中にお話するものだけど。
B'Zの「恋心」という歌にはその気持ちがすこしだけ書かれてて微笑ましかった。


「こないだの話」が二週間前のことだとしても、時間軸などお構いなしにお話が再開する!
だってお互いに、こないだ楽しんだことをしっかりと愛しているからだ。
女の子たちはロケで再会し、それ以外の全員が男性でいろいろな人がいるその場で
ちいさく寄り集まって、おおきな声でかしましく笑う。
例えばおばちゃんたちが集まってカフェで韓流スターの話でキャッキャとはしゃいでいるのは
そのときにおばちゃんたちは「女の子たち」だから、なんです。


いまそのロケで撮影したものの編集をしている。
映像には映っていない「女の子たちの時間」を思い出しながら、だいじに編集中です。