デッドエンドの思い出

このごろ、宮部みゆきの「誰か」「東京下町殺人暮色」
恩田陸の「ネクロポリス」「まひるの月を追いかけて」と、
ミステリー&ファンタジーに翻弄されたくて、立て続けに読んでたのですこしぐったり。
道ばたでふと殺気を感じたり(なにもないのに)夜の物音におののいたり
連絡が取れないと何かあったんじゃないかとひどく心配したり。
あたまがミステリに染まると大変です。


そろそろ、心と生活をかるがると(しかし、しっかり深く)描く物語を読みたい。
とつまりそこから逃避してミステリしていたんだけども、そういう時期ってあるでしょ。
ずっと読みそびれていた、よしもとばななの「デッドエンドの思い出」を読んだ。


わたしは完全に、ばななブームの直撃世代だ。
吉本ばなな村上春樹池澤夏樹、それにポール・オースターの世代。
「キッチン」よりもそのなかに収められていた「ムーンライト・シャドウ」が気に入り、
それが当時めちゃくちゃにはまって聴いていたマイク・オールドフィールドの同名曲が
もとだったことにも驚き、とても個人的な共感をもっていた。
ばななさんの世界は少しざらっとひんやりとしているので、なんというか私自身と
ぴったり呼応する不可欠な絶対的な愛しい存在、とは少し違っていたけれど、
言葉の直球ストレート球の正確さ、とつぜん顕れる魔球の凄さにはぎゅっとつかまれる。
うまいなぁ。えらく正確で、たぶん自然に物怖じせずにこんなに正しく言葉を選び、書けるんだな。
とうすいフィルターかかった希薄な空気感のなかに、さらりと出てくる言葉の剛速球に感心してた。


で「ひな菊の人生」以来に読んだこの本をよみながら
わたしは電車のなかでぼろぼろ泣いてしまった。
「ともちゃんの幸せ」という短編があります。
これはともちゃんという女性のお話で、レイプされたり、父親が媚びた女性と浮気して母親を捨てたり
母親が死んでしまったり、そういう深いトラウマを、日々の傷として飄々と生きているしずかな女性。
そんなともちゃんは、地味に5年間も片思いの恋をしている。そのすこしの幸せを大切に抱いている。
独特な浮遊感で淡々と、それらともちゃんの「思い出」と現在のささやかな恋が描かれる、しかし。
その物語は途中から、とんでもないド俯瞰とフラッシュバックにかわる。こんなふうに。


 さて、話は変わって。
 これを書いているのはともちゃんではなくて、ともちゃんの人生をかいま見た小説家なのだが、
 その小説家も実は自分が書いているのではなく、何か大きなもの、ここでは便宜上神様と呼ばれるものに、
 頼まれて書いているのだ。


「どうして私が?どうして私だけにこんなことが?」
という身を裂かれるような疑問をあなたが一度でも発したことがあるのなら
今すぐ、この物語を読んでほしいとわたしは願う。
ごく単純な文章がこの後に続く。単純でまっすぐで、目から毒が流れ落ちる。


トラウマと向き合う、とひとことで言うのは易いけれどそれはむずかしいことだ。
このばななさん史上最高の剛速球は、読者の心がトラウマと向き合うことぶっ壊すこと、
生き、立ち上がることを、たった2ページで、やらせてしまう。
本のちからだ。
ぼろぼろと泣いて暖かく、風の強い阿佐ヶ谷でわたしはたいへんすがすがしい気分で
ばななさんをとても愛しく思った。
(他の短編も凄いのだらけだった!まいってしまった!)

デッドエンドの思い出 (文春文庫)

デッドエンドの思い出 (文春文庫)

で超久し振りにいまこれを聴いちゃって・・・このひとはチューブラーベルズばっかり有名だけど、ボーカルものの物凄い美しさったらないですよ。