1Q84読みはじめ

じゃあ今年は200Q年か、と本のタイトルをみて思ったので
今年じゅうに読もうと考えてた。
あんまり売れているからって事前にワイドショーなんかであらすじを知ってしまい
こんなに教えちゃあ、まっさらの状態で読み始められないじゃないの、と少し憤慨し
だけど、そういうことじゃないんだろうなと確信をしていた。


先日ばななさんの本を読み終えてから、すごくスッキリしつつもすこし混沌としており
つまり例えば泣いたり、おこったりして感情が爆発した直後のような
心が危なかしい、どこかの琴線が露呈したままでいる感覚でいたものだから
さて何を読むべきか、と冷静に迷った、しかしほんとうは迷っていなかった。
(さぁ、今です。いよいよです。1Q84を)
そういった本能の正しさは、自分自身しか知りえないことだけど、ある種の超能力だとおもう。
地味で、だれも研究しない、でもきっと誰もが行使したことのある能力。


きょうまでで、上巻の半分ぐらい。
もう、たいへん大切に読んでいる。引き込まれてしかたない。魅せられて、抗えない。
わたしは本を読むのがとても好きだけど、「読む快楽」のことをおもうとわたしの現状では
1Q84」はなんと、ガルシア=マルケスの「百年の孤独」レベルだ。
がつん、がつんと大きな歯車の回転に翻弄されるチャップリン氏を思い出している。
あの映画の内容とはなんの関係もなく、「1Q84」をイメージすると、アノ画なのだ。
世界と、世界と、私。
世界と世界と、俺。
ゆっくりとぐるぐる回転する大きな歯車。それからうごく動かされる生きるひとりの人間。


友人がガルシア=マルケスを、普遍的だから評価されるんだと言った。
わたしには「百年の孤独」をはじめ、めちゃくちゃに特殊な嗜好をもつ小説が評価されるのは
ひじょうに不思議だ、とおもっていたのだけど。
その言葉を聞いても、私はファンだからよくわからないだけで意外とそういうものなのかと思った。
だけど、今そのことがたいへんによくわかる。「1Q84」は、はっきりと普遍的なんだ。


百年の孤独」はマジック・リアリズムだけど(この呼称ですでに普遍と言われてるのに気づかなかった)
1Q84」は、何リアリズムなんだろうね。
読み終わったら名づけます。