肉体のリアリティ

このところ大沸騰していた二件のドラッグ摘発事件。
環境として、いまの日本ではさほどの苦労もせず、ばか高くもなくドラッグが買える。
たとえばクラブのように、夜から朝まで流通している経路もあるし
不夜城シブヤもシンジュクも、人びとは雑多に互いに干渉せずに求めるものを得られる。
出かけたくなければネットで通販OK。
肉体を感じないから感じたいのかな。もっと限界まで、死なないから、と勝手に思ってるから。
こんなにふつうに、ドラッグが身近にあるなんてこと。


数年前にクラブやレイブへ行っていたときに、なに食ってんの?とよく聞かれた。
なんにも食ってない。
Xあるよ、あげよっか。 いいよ、いらない。
えー?なんでなんで、なんでー??  
あたし踊っててきもちわるくなるのやだし。
全然なんないよ、ちょおきもちいいよ、すげぇ踊れるし!こんないい音もったいねえって!
じつはね、妊娠してんの。


と言ってみたら、この気さくすぎて陽気すぎる男の子は一気に深刻な顔になって一瞬だまり、
・・・ああそっか、じゃだめだなあ。うん。ごめんごめん。
パンパン、とわたしの肩をたたいてフロアのどっかに消えていった。
うっそお、とかだんなは?とか、妊婦がこんなとこ居ていいのとか、こんなにつっこみやすい嘘もないと
思うのだけど、かれはびた一文疑わず、瞬間とてもリアルな蒼白のかおをしていた。
まるで白日のもとにさらされたゾンビだ。
わたしのうそが一瞬かれの元気(とハイ)を奪ってしまったのね、とすこし申し訳なく思った。


その豹変は、いまになって思うと
「妊娠」というとんでもなく肉体的なことを、突然目の前に突きつけられたからだろうって。
たぶんわたしは怖れられたのだ。いまここで肉体のリアリティをもつ者として。
「お酒で酔ってるから」でも、「興味ないなあ」でも、「だって身体こわしそう」でも
こんなにあっさり引き下がらなかった、かれらは。
どれも肉体のリアリティが曖昧で「大丈夫だって!」のひとことで一蹴できるから。


わたしはドラッグにまるで興味がない。
すげえ幻覚も、音が激しくきれいに聴こえることも、あらゆる快楽の感覚を
正直いって、自分の生まれもった五感で感じられなくてどうすんの、と思うからで
肉体の五感を愛して信じて生きているからでしかない。
ドラッグで、つまり自分の肉体の外側からのアタックで、自分の五感を乱して感じたものが心まで届かなかったら
これほどつまんないことはない。
身体を破壊することの危険ばかりを宣伝するけれど、そうすると「どうせいつかは死ぬんだし」などと、
自分の死を夢物語のように、来ない将来のようにして言って、刹那的ぶったまま逃げられる。
それよりも、今現在のことをかんがえて宣伝してやったほうが効果的だとおもう。
自分の肉体を感じられないひとがどれだけいるの、ってことを。それは退屈で虚しくて、ださいわよって。
こころの感受がにぶったままじゃ空虚すぎるし、積み重なればひとの深みにはっきり差が出る。
いまの時代はリアリティの欠如にすら意識がいかない人が大量発生している。
だからむなしく、だから殻にとじこもって個人主義を振りかざすんだ。五感が瀕死のままだから。


ドラッグにはまるかれらはまだ精神的には前向きで、肉体のリアリティを欲して行動に出る、という点で。
しかしだからってドラッグはすぐ切れるし、残念ながらランダムに与えられた五感でしかない。
かれらは前向きだが、自分の五感をみがくべきだ。意識を向けて、愛してだいじにするべきだ。
だって、わたしドラッグなんかいらないもの。すっごく気持ちいいし、今の状態乱されるほうがいやだ。
わたしの身体で踊れなくなる。


とあるときクラブで旧友に言った。旧友というか、もうその当時大好きだったひとである。
そうか、と苦笑いして、それ以来かれはわたしにドラッグの話を殆どしなくなった。


かれは時折ドラッグをたべるくせがあった。わたしは批判はしないし、誘われてもいらないというだけで
やめたほうがいいなんて言わなかった。そんなこと、かれはわかってた。それでもクラブですこしだけ。
フロアにはたくさんそういうひとがいた。
それはかれの嗜好だし、かれの判断だ。かれはたいへんな激務でひどくつかれてる。
でもほんとうは、死ぬほど心配だった。オーバードーズで死んじゃう危険よりも、
そんなものであなたの素晴らしい感受性を失わないで。
ということが。たかが薬で。冗談じゃないと思った。でも嫌われたくなくて、言えなかった。
黙って、かれを信じようとおもうしか。あのひとはばかじゃない。


そうやってあるとき、かれはわたしにうそをつき、みょうな時間に来ないはずだったクラブに来た。
みるからにばかな顔で、みるからにばかそうな知らない女をつれて、くじゃくの求愛みたいなダンスをしていた。
ああ、『食ってる』でもここまでばかな様子はみたことがなくて
信じてたものがすべて崩れて、心が完全に無感覚になったので逃げるように帰った。
明け方かれから、激しく疲れた声で電話がかかってきた。3時ごろ行ったよ、どうしていなかったの。
わたしは言いたいことを呑み込んだ。お酒に酔って、きもちわるくなっちゃって帰った。会えなかったね。
きょうよかったね、ああすげえよかった、だけど6時ごろオチて最悪だった。
ばかみたい。やりすぎると楽しめないよ・・・というのが精一杯のかれに対するドラッグ批判だった。


それでもわたしたちには続く時間があり、ここで終わりとはいかない。
会わなくなってもつい今朝がたまで、かれはわたしの恋しい人のひとりだった。恋しい記憶の消えない。
だけど今朝、ワイドショーで「夫婦やカップルでドラッグをやること」を分析していて
「男性が外でドラッグにはまった場合、そのあとは人目のない場所、家の中でやりますね。
すると家にいる妻と一緒に楽しみたくなる。
妻に受け容れてもらえないと、男性は別の女性、一緒にドラッグをやれる相手の元へ行く。
妻の拒否は、更生よりも、浮気に発展するパターンがほとんどだそうですね。」


ああ、そうか。こういうことだったのね。なんて単純な。
まさか数年後に、TV番組のチャート図でわかりやすく、かれの心理を知るとはおもわなかった。
ではそもそも、恋愛など不成立。
つまりあたしがあの時かれに媚びてドラッグに手をだしてたら、恋愛はうまく楽しく始まってたんだろう。
けれど、あたしは自分を男のためにゆがめるなんて、できませんでした!おしまい!
大失恋の正体見たり、朝の陽射しに。あの夜の酷いトラウマが、あっさりとお笑いシーンに変わった。


ウッディ、あたしはまたつよい子になってしまった。
それでもわたしは恋をするのか、するんでしょうでも、トラウマなんてこんなもの。アハ。