イングロリアス・バスターズ(タラちゃんの魂)

あの安っぽいデザインのポスターで見る気をなくしていたのだけど
なんだかこのごろ、心が物足りないような栄養不足で、風邪ひいたりして弱ってたので
滋養強壮にちょうどよさそうな映画でも・・・とタランティーノの新作
イングロリアス・バスターズ」を観てきました。


わたしはタランティーノ世代なんだと思います。
レザボアドッグス旋風にやられた子は周りにたっくさんいたし、
映画を志す学生の間で、タラちゃん映画とその映画マニア伝説は、諸手をあげて受け入れられていた。
当時の愛され監督(笑)No.1だったんじゃないか。
わたしも、そんなに熱く愛するほどじゃないけど好感をもってたし、気になる監督のひとりでした。
それがものすっごい特別の愛をもって、私がタラちゃん愛おしいと思ったのはみんなとちょっとずれていて
キル・ビル2」でした。正直にいって号泣しました。
1の切れ味も物凄かったけれど、2はごく個人的な心の琴線に触れたのです。映画とはじつに個人的なものです。
そのコミュニケーションを感じるために映画を観る。だれかとお話するのと同じことですね。


さて、そんなわけでわたしはタラちゃんの「キルビル2」で感じた、絶望への激しい優しさやユーモアを思い出し
あのポスターと宣伝だけじゃただの、ナチスをネタにした悪乗り映画にしかみえないものを勇んで見た。
もちろんそうじゃなかったから書いている。もうああいうレザボアやパルプフィクション的な売り方はやめてと思う。
いや、あのような意表をつく鋭いアクションはやっぱり彼の天性の才能で、そのリズム感はやっぱり凄いと思うのだ
だけど、この映画はこんな反ナチス映画、反戦映画は今まで誰もやらなかったところが一番の彼らしさで
どうやったって深刻に悲愴に重苦しくしかならない題材を、一番軽やかにしたらこうなる、とおもうのです。
悪乗りになったらおしまい。そんなのは反戦でもなんでもない。ただの悪趣味な馬鹿でしかなく。
切り込みかたはキルビルと同じ「復讐劇」で、あるユダヤ人女性のナチスへの復讐決戦。
タラちゃんのどうしてもこうなっちゃう、同時進行の群像劇で映画はすすむ。
ナチスユダヤ人を虐殺するのは冒頭のみで、あとはナチスを虐殺するアメリカ人のシーンしか出てこない。
その描き方はいつもの、なので、戦争の現場らしく思えなく、ただひたすら鋭い暴力シーンにみえる。
戦争映画の重みがない、という評価を幾つもみたけれど、それはその通りなのだ。
時代の流れや群衆としての戦争を描く気はタラちゃんにはなくて、反戦のタラちゃんの最も強い表現として
個人の復讐というかたちに落とし込んで描いているのだから。
クライマックスで物凄い炎上が起こる。詳しくは書かないよ。だけど、その炎の表現は章タイトルそのもので
(いつものように、短い章分けをしているのです)
「巨大な顔の復讐」なのです。
戦争で死んだひとすべての怒りそのものが炎になって襲い掛かってくる。その炎はそのようにしか見えない。
どんなぼんくらが観たって、これはもう、こればっかりは見間違えようがない。
このシーンを観るために映画館へ行くべきだし、このシーンにタラちゃんの反戦の思いすべてが視覚化されている。
ここに至るまでの展開はとてもうまいし、飽きないし、よくできている、そして独特な軽やかさだ。けれど
あごか外れるほど素晴らしいのはこの圧倒的なクライマックスシーンだし、わたしが愛するタラちゃんはこれなのだ。
観終わってからしばらく、いまもこのシーンが頭から離れない。夢に見そうなくらい。
笑いには個人差がある。タラちゃんの笑いはこの題材だから、悪趣味とか不謹慎と捉えられるすれすれだ。
だけどさ、最後まで見たらそんなこと、決して言えないはずなんだ。
タラちゃんは本気だ。ものすごい誠実に、自分をみつめて自分にできることを考えて、素になって、本気だした。
そういうところが好きだから、タラちゃんがものづくりに対してどんどんそうなっているのがわかるから、わたしは応援する!
もうすぐ終わっちゃうからすぐDVDになるだろうけど、それでもいいから見てみてください。
(広告は全般的にださいので、リンクは貼りません!前情報なしで見るべし!)