大そうじをしながら思ったこと

街頭にお正月飾りの露店が出始めると、ちょっと心が浮き立つ。
いつもの花屋は門松と松かざりでいっぱいになって、米屋は鏡餅の張り紙をする。
スーパーも八百屋も魚屋も、おせちや正月料理のための売り出し一色。
商店街は自転車が増える。みんな、たくさん買出しをする。
うれしくて、のびのびしてしまう。


たぶん私はもっとラクにしてていいのだ。
仕事を抱えたままの年越しでも、先行きのみえない新年でも。
大掃除をはじめながら、そうおもう。
日暮れまで出来るところまで、と、風呂場と台所を掃除した。
排水溝のぬめりや見過ごしていた汚れをきれいに洗うと、
ことし一年の気張りやつっぱりがそのまんま流れていくみたいだなぁと思った。
頼りないカントクだと思わせちゃいけない、とか迷ってるひまはないとか
自分をおさえこんで完璧にがまんするとか、疲れをお化粧と洋服でカモフラージュとか
そういうエトセトラが「パイプユニッシュ 強力ヌメリ取り」で流れていく。
―気張らなくてもふつうに出来てたことじゃないかなあ。
―もしかして、気張りが自分自身を圧迫してたのかもしれないよ。
無意識的に、たぶん映像をはじめてから、積み上げられてきたプライドが
アシスタント時代から、もっともっと、飛びたいと願う気持ちについてきた補助輪が
もう、外しても同じなんじゃないかしら。いやむしろ、外したほうが滑走できるんじゃないか。
映像に限らず、わたし自身のすべてにおいて。


洗濯物を取り込もうと庭にでると、猫が四匹くつろいでいる。
二匹はかたまって座り、あとはめいめいに転がってる。
庭にマイケルの声が流れてくる。スピーカーの中から、変えるんだと歌いかけている。
世界をより住みやすくしたければ、まずは鏡のなかの男を変えよう、
僕は鏡の中の男から始める、あの男、あの男に主義を変えるように言うんだ。
自分自身を見て、それから変えるんだ、
それから・・・


「変えるんだ!」


マイケルに耳のそばでいわれた気がしてちょっと涙がでた。
四匹の猫をまえに洗濯物を抱えてだまって泣いているとは、コントのようだなとおもった。