金沢にて〜船越桂、お能

半年ぶりにブログを再開します。
お元気ですか?私はいま、金沢にいます。


ニュージーランドの旅を経て、私はNZ以前・以後とはっきり区切ってもいいほど
あれからずいぶんのんきに、のびのび暮らしています。
けれどわたしの変化と、周囲の変化が必ずしも同調するわけはなくて
日々、些細にやだなあと思うこと、堅苦しさやこころをのびーっとしきれないことが
少しずつわたしを覆って、意識の流れをせき止められるように感じることがある。
それはわたしの感受性を鈍らせる。そしてそもそものわたし、その愛の感覚を見失う前に…
逃げろ〜!!!
いい時期に、ちょうどよく旅に出られたのです。


旅先には金沢を選んだ。能と泉鏡花と街の空気。
イメージしていたのは時代を超える旅(笑)で、いつどこだかもわからなくなるほど
まぼろしの世界へいっちゃってもいいかな、どこまで行けるかな、って思ってた。
しかしその子供っぽい旅イメージは、きょうばっさり想定外の方角へ飛んでっちゃった!


金沢へは電車を乗り継いで、新潟・富山経由でやってきた。
越後湯沢から乗った特急列車の車窓はほんとにのどかで、たまらなくうれしくなる。
その途中にとつぜん、畑の中に草間弥生の水玉オブジェ作品が現れてびっくりする。
あのあたりが越後妻有なのかな。
それを見かけたせいか、金沢に着いたら…21世紀美術館で現代美術をしっかり見て
あとは海鮮丼でも食べて温泉入って寝よう。と思った。今日はまだ現代の日なんつって。


久しぶりの場所感覚をたどりながらお散歩する。
金沢は風通しがいいから好きだ。街がきちんと都市なのに、ごみごみしていない。
うっとうしさがなく、暑い日でもさらりとしてる。スカスカしてて居心地がいいの。
たくさんの美しいものが街にあるのに、さりげなく佇んでいるのがすてき。
すこしあるくとどんどん風景が変わっていく。古い町並み、時代をまたいで、でも現在。


21世紀美術館では、メインの展示で船越桂とヤン・ファーブルの合同企画をやっていた。
わたしは、いつも少ししか見られないけど、いつもぎょっとさせられるファーブルを楽しみにしてて
船越桂は見たことがなかった…のだけど。
もう大事件だった。船越桂。あの人形たち。あの物凄さはとてもとても、写真なんかじゃ伝わらない!
映像でも、きっと伝えきれない。
こういうことだから、美術は生で見ないといけないのだ。コンサートなんかと同じで。


はじめの一体に向き合ったとき、呼吸もはばかられるほどの静謐さに、からだがびりびりきた。
船越桂の人形たちと、ファーブルの作品、交互に小さい展示室をみていく。
そのバランスに乗ってめぐるうちに、だんだんと…船越桂の人形たちをみていくことが
まるで巡礼のように思えてくる。
すこしずつ、わたしは告解する。わたしの小ささ、わたしの罪と後悔、驕り、わたしのなかの暴力。
思いやりが足りなくてごめんなさい、うまく伝えられなくてごめんなさい、気づかなくてごめんなさい、
なにもできなくてごめんなさい…いろいろなことを思い出し、謝る。
あの人形たちの前では。
そういうふうに、心が渦を巻いて涙がでそうになる。イエスに向き合うようなものだと思う。
そして、11番の展示室に入って、そこでわたしはぼろぼろ泣いた。
その部屋は一番ひろく、たくさんの人形たちがいる。
ランプに照らされて、うしろにデッサンの絵が大量に貼ってある。
まるでほんとうに、これは、教会みたいだ。
たくさんの人形の一番前にいるのが、信じられないほどおだやかで慈悲深い表情をしている。
その目でわたしを、微笑みながらみている。
この人形たちに比べたら、わたしはあまりにちいさい。とても、本当に、きっと永遠にかなわない。
この10分の1でもいい、この世のすべてにすっと向き合い、赦し、穏やかに見つめることができるまで
わたしは、頑固になることをしない。まだまだ、頑なに固めるなんて早すぎるって。
そういう清さと、なんだか燃えるような勇気が、心身のタンクいっぱいに注がれた。
ああもう、こんな美術体験はほんとうに初めてだった。


ちょっとわなわなしてるから、もう帰ろうかと思ったのだけど
すこし金沢城を見て落ち着こうと思って、そちらのほうに行ってみたら、なんとばったり能が!
「観能の夕べ」と書いてあるポスターをみつけた。そこは県立能楽堂だった。
ちょうどよく30分後に始まる。いいのか、今ここで能までいっちゃってわたし大丈夫か?と
まだ旅のお目当てだった「泉鏡花と能」展示すら見ていない…とためらったのだけど
聞いてみたら、今日しかやらないっていう。もう見るしかないのだ、と覚悟した。


きちんとお能をみるのは初めてだ。
兼六園金沢城に囲まれていて、日本情緒しかない場所で、1000円でお能を見ることができた。
狂言は大笑い、能は大爆発。能楽は読経のようだし、大きい礼拝(クリスマスのような長いやつ)
とほぼ同じような構成だって知る。お芝居の形式だけど、結局のところひとの原罪を表現し昇華させる。
やはり神に捧げる儀式で、その手段が日本の美学の結晶であり、だから日本人の魂に響き続けているんだな
とよくよくわかった。
声の音楽、声と声のかさなりと音階のおそろしい美しさにぞくぞくした…。もうなんか、今日はたいへん。
面や衣装、立ち振る舞いにもわくわくして、能楽美術館がますます楽しみになってきた。


金沢は、空から能が降ってくると言われるほど能のさかんな場所です。というのは本当だったな…
わたしが出会えたのはほんの偶然だったけど、会場は満員で、地元の人が多そうで
終わるとほくほく顔で、のんびり帰っていく。車も多かったし、バスを待つおじいさんたちや
兼六園のとなりを散歩がてら通っていく人々。
夏の涼しい夜に、そうして日本情緒の通りをゆったり抜けて、なだらかに街へ出る。
さっきの21世紀美術館がモダンに光っている。
ああ、こういうの素敵だな…って思った。
いまは2010年の夏なのだ。
場所は金沢、行ったとたんに「ありのままをみつめなさい」と人形に言われて
今の日本にいきいきと息づくお能をみることになった。
運命なんてこんなもの♪
明日はどーんとミーハーに、泉鏡花を追ってキャーキャーDayになりそう…かな!?
4日間、楽しんできます。