金沢にて〜犀川を走る

わたしが滞在するホテルから数分で、あの川に出られることは
金沢に到着してすぐにわかった。
しばらく見下ろし、ここに来るのは旅の最後の日にしようときめた。
そうして今朝、ホテルをチェックアウトして、近くのレンタサイクルで自転車を借りてきた。
あの川を走る。
この旅でひとつだけ時間をとび超える瞬間があるとしたら、今この時だ。
犀川のほとりを、わたしは18年ぶりに自転車で走った。


あのときわたしは高校生だった。
その倍の年月が、いつのまにか経っている。
それなのにわたしはここに来たときに、あの時、駅からレンタサイクルで片町へ、
この犀川大橋に抜けてきたのをはっきり思い出していた。
それは親友たちとの卒業旅行で、わたしにはじめて訪れる、愛する人たちとの「死ではないお別れ」
大好きな友たちとこうして毎日会えなくなるのはせつなく、でもあきれるほどに旅は楽しくて、
でもふと目の前を走る親友と、春から別々の場所へいく事実を思いだすと泣けてくる。
心がゆらゆらするその感覚を今になっても、とても鮮明に思い出す。


そうして大人のわたしは、自転車で走りだす。
あれからの18年間を思い出しながら走る。
あのときの別れは別れではなく、彼女たちとはついこのあいだ、みんなで大集合したばかりだ。
東京で、ニュージーランドで、なにもかわらず一緒に笑ってる。
わたしは、いつのまにかこんなところに来てしまって、
わたしのいまの日常、愛する人たち、家や仕事場、変化する心、それらがどう形成されていったのか
それはこの川の流れとおなじで、たどることもできれば、ただその光を眺めていても飽きることのない。
「人生ね。」
本当にふいに…あのとき走りながら親友のひとり、ニュージーランドの花嫁がそう言ったのを思い出した。
どんな話の流れでそうなったのか、まったく覚えていないけれど彼女の声。人生ね。
こんなふうに、きらっきらに光あるといいね。
いまのわたしはそう言う。それしか、思い至らない。


18年前とまるで変わらない犀川だ。
ゴールは室生犀星の碑で、あのとき誰も犀星を読んでなくて、碑を眺めて、可愛い文字♪とか
武者小路実篤の「友情」なら読んだよ?などと的外れなことをいいまくって通り過ぎたけど
わたしは今も読んでいないのだった。
そうだーまだ読んでない!と可笑しく思いながら、そのまますいすいと金沢駅まで自転車で走った。
よいお天気、なだらかで広い道、暑いけどかまわない、こうしていたいんだもの!


いい機会だから帰りの電車の中で読もう、と泉鏡花記念館で買った「金沢三文豪の短編集」をひらく。
東京に着くまでには、室生犀星を読めそうだと思いながらも、うっかり鏡花の短編をはじめに読んでしまい
うっとり…。犀星、申し訳ない!とあやまりながら、べつの鏡花の短編集を読み始めてしまったので
わたしはまだ室生犀星を読んでいない。
きっとあの無骨できらきらの犀川が大好きだっていうんだから、いい奴なんだろうと思ってる。