京都から円空へ着地する

ほんとうなら今頃、ドイツにいたかもしれないんだな。
それは地震の起きる前に計画していたことで、地震が起きてから
日本を離れるのが怖くて、やめました。
そんなことではだめでどうしようもないのはわかっているのだけど。
もうひとつ、抜けきれていなかった出来事があって、それも尾をひいた。
東北で大地震が起きて、そのすこし後に突然、京都の友人が亡くなった。
ずっと日記を書けなく、このことは書かずにいようかとも思ったのだけど
今日ちょっとしたうつくしい出来事があったので、ここに書きます。


ゴールデンウィークは暦通りの休日を得られたので、のんびり静養して
今日は世田谷美術館へ、白洲正子展を見にいきました。
じつは杉並では、来週、再来週とふたつの神社で薪能が行われるのです。
これは是非とも見に行きたい、そうだお能がみたい、と熱烈に思って
しばらく触れていなかったお能の勉強の一環として、白洲正子展で
展示される能面を見に行くことにしました。
お能にしても美術にしても、日本古来の文化をある深みへ降りて知りたいと思うとき
そこには白洲正子さんがいつもいるのだった。
おお、また正子さん、みたいな感じでわたしは数冊読んでいて、正子さんの文章は好きです。
奥行きがあって、どんどん思考が飛んでいくからたのしい。
とくにお能については、正子さんのはとてもわかりやすい。


正子さんは行動力がバツグンだから、どんどん旅にでる。
その旅で出会った、お寺にひそかに居る仏像やご神木の美を見出しては、がんがん書く。
その美意識と勘、霊感といってもいいかも、感覚の強さには感動する。
この展覧会では、正子さんの美の放浪記をたどる展示をしている。
近江、奈良、京都、熊野、行くべき場所に導かれているように。


三週間ほど前に、日帰りで京都へいった。友人のお葬式に出るために。
京都は高校のときに修学旅行で行ったきりで、風景よりも親友たちの顔しか覚えてないほど
忘れちゃっていた。どこを巡ったのかも、なんだか忘れてしまった。
バスをたくさん、みんなで乗りついで、そうだ龍安寺の庭園だけは覚えてる。強烈だったから。
母さんにやきものを買って帰り、それが実家のどこにおいてあるかも覚えてる。
年を経て、日本のうつくしい文化財や歴史、ことにお能にひかれるようになってから
京都と奈良はいつかきちんと訪れたいと思ってそのままだった。
きゅうにこんな用事で京都に行くことになって、わたしは(今となってはおどろくほど)
そのひさしぶりの京都の一日、ぼやっとして鈍ったまま過ごした。


その日の夜がお通夜で、すこし早く着くように出掛けた。
いざ京都へ着いてみると、とても感覚が鈍っているのがわかった。
友人の他界が視界にフォグフィルターをかけているみたいに、五感と六感がとらわれてしまう。
友人は自死を選んだ。
なぜ、とは思わない。そう至ったことに、きっと彼なりの必然があったんだと思うしかない。
だけど、くるしかったら、ものすごくくるしんでいたら、いまでもそうだったらと思うと
すごく悲しい気持ちになって、まったく京都の街がよく見えない。
前夜に母さんに電話で話した。母さんは、自分も、彼のことも、誰も責めちゃだめだと言った。
後悔してもだめだよ、それは飛ぼうとするひとの魂に重力を与えることになるから。
もう行っちゃったんだから、ね、安らかにね、そう言って見送りなさい。
この世のわたしたちが未練を語るのは、あの世に行くひとを、苦しめるのだから。
それだけは絶対にごめんだ、とわたしは思う。思いながら、やすらかに、やすらかに、と
へたな役者みたいに練習をする。かれに向き合ったとき、ちゃんと言えるように。
それはつまり、そのときのわたしにとっては「せりふ」だった。うそでもほんとでもなく、
用意した「せりふ」でしかなくて、そのことにもとても混乱した。どうしたらやすらかにって
ちゃんと、わたしの言葉で言えるのか。それが、通夜までの数時間でできるのか。
京都に降り立って、できそうにないと直感した。
けれども京都の街をさまよってなんとか調整したい、と思った。
わたしの勘のにぶりようはここに現れた。


京都にたくさんおわす仏さまをみたら、すっと心がまとまるかもしれない。
そう思って、三十三間堂に行った。それこそ、すがるように。
ものすごい数の仏さまに出会った。ああ、ちょっと数が多すぎる。それでもって、すごい精巧だ。
強烈な美だと思う、でも、数が多すぎておろおろしてしまう。すきがないのだ。
とても豪奢で、あっけにとられる。正直にいえば、あぜんとした感じ。
心はまとまるどころか、逆にてんぱってしまった。おろおろして、出たとたんどっと疲れた。
ああそうだ、仏さまたちに、友人の魂をやすらかにと祈るのを忘れてた…。
そんなだから鈍ってるのはっきり自覚してるのに、さらに清水寺へ行った。
ぼんやーりと曇った遠景を見下ろした。高い場所だなあ、魂ってこういうところを中継点にして
お空に飛んでいくのかしら、と思ったくらいだった。ぼけぼけしていて、あまり記憶にない。
あっというまにお通夜の時間になった。
わたしは結局、「せりふ」を言うことしかできなかった。
きちんと友人に、わたしなりにお別れをできたのは、つい先日のことだった。


さて、ここで世田谷美術館に着地する。
お別れを受け入れた後のわたしは、こうして白洲正子さんの文章と展示物を交互にみながら
(そう、まるで本のさしこみ写真の実物が目の前にある、という構成だからとても面白い。)
那智の滝にぜひ行ってみたい!とか、天河神社世阿弥の能面が3つもある!超すごい!とたのしんでいて
不意うちで、ぽーんと、あの日京都でわたしが本当に必要だったもの、に出会った。
ああ、これだ。あのとき(決して京都で出会うことはないのだけど)これを見ていたら
きっと「せりふ」でなく、言えたかもしれない。ああ、これだ、これだ!わたしが求めていたもの。
やすらかに、を形にしたもの。まだ飛びたてほやほやで、迷っていたかもしれないかれの魂に
しっかり、ほほえんでいた者。


世田谷で、わたしの目の前で、円空さんの三十三観音像がほほえんでいました。
うわあ、なんてこと…。心の底からうれしかった。それしか言い表せない。
その観音像たちを前に、心のなかで手をあわせて「やすらかに」と言うことは、もう必要のない。
観音像たちは『やすらかですよ。』ニコ・ニコっとわたしに語りかけてきた。
このほほえみのなかにかれがいるのかもしれないし、違うかもしれない。けれど
わたしは『そっか。よかった。』とこっそりニコっと。
こっそりしたつもりがウインドウに映ったわたしの顔は超にやけていて、ふと顔をあげたら
すぐそばにいたおばあさんも、観音像たちを見てにまにまと笑い顔になっていた。
円空さんは、なにを彫ったんだろう。とゆかいに思った。