赤い靴

昨日の日記に書いた「サウダーヂ」は秋に劇場公開がはじまります。
場所はユーロスペース、また見に行くのでそのときに、もっと映画に入り込んだかたちで書こうと思う。
きのうの続き、そういえば先日。
東銀座の橋の上で、四方八方からナイフでめった刺しにされる夢をみた。
夢のなかでわたしはとても冷静で、ああ、関係ない人もどさくさにまぎれて刺してる、と冷めた目で
刺す群集一人ひとりの目をみている、というものだった。
それはたぶん、ガルシア=マルケスの「予告された殺人の記録」の要素が「サウダーヂ」にはあって
最近あの小説と、よくできた映画をなんとなく思い出していたからだとおもう。
と、いうわけでガボファンもユーロに集結よろしく!


きょうはそのユーロにひさしぶりに行ってきました。
大人気のクラウベル・ローシャ特集も見てみたかったけれど、わたしは「赤い靴」!
おとなりのシネフィルや熱い映画ファンに比べて、こちらはほんとうに年齢層が高くて
リアルタイム世代か少し下の…高齢のかたが多くきていた。
1948年の映画の復元で、スコセッシががんばって2年もかけて蘇らせたというのだから
それで音楽映画(バレエ映画)だというのだから黙っていられない。


「赤い靴」はアンデルセンの童話が悲劇。赤い靴(ダンスシューズ)を履いた少女が、延々と死ぬまで踊り続ける物語。
イギリスの映画だしいわゆるMGMな王道ミュージカル映画の感じではないな、とは思っていたし
そしてスコセッシが熱心に関わっていることを、考えあわせてさらにこの客層だ。絢爛豪華な悲劇…なのかな。想像がつかない。
というわけで、観てみたらこの壮絶さ、成瀬巳喜男のような辛辣さ、しっかりした生々しい悲劇にびっくり。
バレエの内幕もので、普通の女の子がプリマにのしあがっていくスポ根もの。
そして、ついに才能が花開いた「赤い靴」のバレエ化の舞台には、たぶん20分くらい尺を割いてまるごとバレエを映している。
この美しさ、バレエシーンがすばらしく美しければ美しいほど…そのあとの悲劇がほんとうにやるせなくなる。
わたしはもう、このバレエで大成功してやったー!で終るんじゃないかと思ってた。それでOKだと。
このバレエシーン、スコセッシのファン的にこれは「ラストワルツ」の華麗さに相応する夢の映像だったから。
しかし、そこで終らないのがこの映画のすごいところで、ここからが本番の悲劇のはじまり。


プリマと仲間の音楽家が恋愛関係になり、それを知った演出家が嫉妬に怒り狂い、大暴力大会になる。
楽家をクビにし、プリマにもへたくそになったぞ男のせいだと怒鳴り、舞台を延期する。
プリマの選択肢には、しあわせに恋して踊るというのは残されていなく、踊るかやめるかといった問答に発展していく。
演出家の目ははじめから、すこし気味悪くて気に入らなかったのだけど(デニーロとショーンペンの間みたいな男前なのに)
嫉妬にくるいはじめた目はほぼきちがいで、昨日書いたような執着まるだしな暗い目でへびみたい。
たいして恋敵の音楽家はしあわせいっぱいで、すきーと素直に愛してて、誰だってこちらを取るだろう。
野心と金に執着している女性は別として。そして、バレエを自分の命と考える誠実なプリマをのぞいては。
バレエ団を捨てて、音楽家と結婚したプリマはしかし、また舞台に立たないかと演出家に誘われて復帰を企てる。
この映画の本当に壮絶なみどころは、逆嫉妬ですっかり裏面の顔がむきだしの音楽家と、やっぱり暗い目の演出家、
それぞれのエゴをもって二人がプリマに「仕事か家庭か」を迫りまくるシーン。ほんとうに鬼気迫るおそろしさで
追い詰められたプリマは、そのどちらにも服従しない決断をする。
プリマは踊るように出て行き、バルコニーから飛び降りて死んでしまうのだ。
これは悲劇だ。服従しないぞ、と意識的に決断するのでなく、魂が逆らったという感じ。
まるで赤い靴が魔力をおこしたように、足が勝手に動いていく…みたいにしていたけれど。
こんなに重く響く映画だとは思いもよらなかった。
重厚で、きわめて美しく、生々しく、力強い。けれどすごく品がある。
泥沼に底なしに落ちていくのに、ドラマティックに引き込まれるのは、嵐が丘に似た魅惑だろうとおもう。
そしてけっこう、びっくりするような独創的な映像も出てくる。ダンスのマジックと映画的表現がときどきすごく実験的で
やっぱりバレエシーンは素晴らしい。
このたびはスコセッシズムの発見というよりも、スコセッシは根っからの映画好きだとわかった。ほんとうに。


赤い靴(デジタルリマスター版)
http://www.red-shoes.jpn.com/