パリ、ジュテーム、カサヴェテス

何の気なしに「パリ、ジュテーム」を借りてきて観ていたら、最後のほうでびっくり仰天した。
ジーナ・ローランズとベン・ギャザラーが夫婦役で出てきたのだ。
それまでパリの街で、とくにラブストーリーってわけじゃなくパリの街に対してジュテームなんだなと
理解できるような好ましい短編スケッチが続くなかで、すうっとレストランにジーナが入ってきて
そして、向き合ったのがベン・ギャザラってもう…
これカサヴェテスじゃん!
どうみたってカサヴェテスの映画じゃん!!!


ジェラール・ドパルデューがウエイターの役でちょこまかいるのだけど、なんだろう、もう
カサヴェテスの映画に脇役でも出られてうれしいっ。(>_<)。みたいな感じで。
ドパルデューってパリの高倉健レベルでしょ。。そして、この人がカサヴェテスファンなんて意外だ。
それまで、ずっとほぼ全話フランスの女優さん達が、パリジェンヌの着こなしやたたずまいで出てきてて
「パリ」の空気を作っていたのに、もうジーナがいつもの服装で出てきたとたんに「パリ」関係なし!
凛々しさはパリに合う。けど、ジーナはどこにいてもジーナだから。
ベン・ギャザラーのほうは、おしゃれしてパリの紳士っぽくしてるんだけど、顔つきがただ者じゃないから
目立ってしょうがない。
この二人の前では、ドパルデューもジュリエットビノシュも前座っていうか…
THE WHOの前座のポールウェラー、みたいなものだ。
きっと唯一この映画中であの存在感に対抗できるのはナタリーポートマンで、黒人女性の役をやっていた。
メークで肌色を暗くして、黒人女性のあの笑顔を、みごとに表現していたので大好きになった。
でもジーナ一人なら対抗できるけど、ベンギャザラーまで出てきたら太刀打ちできないね。。


後でクレジットを見てまたびっくりしたのが、脚本をジーナ本人が書いていること。
好き勝手に愛人を作って別居婚している夫婦が、離婚をするっていう設定なのだけど
たった5分の会話で、二人の関係と愛情のかたち、複雑な気持ちを浮き上がらせるなんて、ほんとカサヴェテスの映画みたいだ。
カサヴェテスと役者たちが、真の意味で一緒に映画を、作り上げてきたっていうことを立証した脚本だった。


ドパルデューは連名でその監督をしているのだけど、断言していい。
芝居については「二人におまかせします♪」だったに違いない。
たぶん二人は現場で芝居をがんがん作り上げていき、さあOKよ、となってから撮影に入ったにちがいない。
ジーナはパリに住んでいる設定だから、パリジェンヌってことになるわけだけど、ニューヨーカーがパリに住んだ、という
パリ&ニューヨークの女性の強さをダブルでもっている、最強の女性にみえる。
列強パリジェンヌの大トリがジーナで、パリっ子たちはどうなんだろう?
これだけ存在感がものすごいと、最高に憧れだったりするのかな。だったらいいなあ。
けれどこの位置に、たとえばジェーン・バーキンをもってこなかったところが、この映画のおもしろいところで
さらに「カサヴェテス篇」(と呼ばせてください)のあとにくる最後のお話は、アメリカ人観光客の一人旅の物語。
パリの誰と知り合うでもなく、異邦人としてパリのなかに佇み、人生のことをかんがえる。
これがとてもすばらしくて、「カサヴェテス篇」からぼろぼろ泣いてたわたしは最後まで泣きっぱなしだった。
エンディングにジーナがふたたび登場するのをみて、ああやっぱりこの映画全体の中で浮きまくってるけれど
カサヴェテス篇が一番、みんなが望んでいた(よろこびをもって作られた)ものだったんだな、と思った。


ちょっとアルトマン映画みたいな雰囲気のあるオムニバス映画だから、アルトマンファンにもお勧めします。
勿論、カサヴェテスファンは全員、観ないといけません。とか公開時に言われてたのかな…劇場で観たかった。
ジーナはいいなあ。本当にいい。ああいう人になりたいと、心底願う。
あんな風に生きられたら、もうどこでどんなふうに暮らしても、怖れも揺らぎもなく穏やかにいられる。
自分の中の暴力に打ち克った人の顔。観る者のこころを包み、やわらかに暖める。
ジーナ・ローランズが特別なのは、魔法使いだから、なのだ。