なるようになる夏と旅 Part1〜倉敷のまろやかな猛暑

親友Kさんが徳島に移住した。
今年の夏休みは、彼女を訪ねる旅を計画した。移住するのだからいつでも構わないし
このさき、きっと何度も遊びに行くことになるだろうなと思っているのだけど
もらった観光パンフレットの大歩危小歩危大自然のうつくしさに、今すぐにでも!
とはげしく思ったわたしとUちゃんは、さっさと夏休みの申請をしたのだった。
いつもなら仕事の様子を見るけれど、今年はもう会社をやめる気満々なので、ためらいは皆無だ。
お互いに。わたしたちはひそやかに転機にいて、これからどこでなにをして暮らしていくかを
ゆっくりと考えている。
Kさんの移住のことは、わたしはほんとうにうれしくうらやましく思っている。
いいなあ、こんなにすんなりと、自分の住処を決められた。
自分が気持ちよく、生きやすい場所をさがす。
東京にいた、いまは東京を離れた。わたしの親友にはそういう人たちが多くいる。
それを自分ごとにすればいい、という動く勇気を、わたしは今はKさんに与えてもらっていた。
別れのさびしさや孤独はつきまとうとしても。Kさんの移住のことはほんとうに晴れやかな気分だった。
(それでも、明日発つという電話を切った後にはわあっと涙がでたけれど。思い出話なんかするからだ。)
この旅はそんなわけで、すばらしい観光と、生きやすい場所をめぐる旅になった。


旅のはじめ、はりきって早起き。
徳島に行く前に、乗り換え駅の岡山で途中下車をして、すこし散歩をすることにした。
ついでのつもりでも、好みの城下町だし、倉敷はちょっと見てみたかった。


新幹線を降りた岡山の駅のあたりはきちんと都市だ。
感じよく駅のまわりにいろいろとまとまっていて、不便のない様子の。過剰じゃなくちょうどよい具合の。
そのさきはひろく住宅が広がっていて、とそれしか見えないけれど、空が広いのが大切だ。
通りしなに眺めていた西日本の都市は、ずっと空が広く続いている。駅を中心に凸形になっている。
名古屋は新旧共存ごった煮な感じ、京都はなだらかで古い感じ、大阪は整頓された旧未来都市、神戸はまっすぐ先に海。
岡山は、まろやかな感じ。
倉敷へ行くには電車の乗り換えが必要だというのは行ってはじめて知った。


倉敷の駅は、岡山にくらべるとだいぶもっさりしている。おもいきり観光拠点だろうに、とても意外だ。
たくさんの東京人が旅情をもって倉敷に向かい、きっとこの古い(じつにまろやかな)駅の様子に拍子抜けしそう。
場所がわからないので駅からバスに乗ったけれど、この「美観地区」ゆきバスは一時間に1〜2本しかない。
観光!サービス!町おこし!という思いも、たいへんまろやかだ。

行ってみると、その美観地区はとてもきれいだった。わたしはうっすらと、人工的な懐古風情を危惧していたけれど
まったくそうでなかった。ただ古くからの場所をとてもきれいに保っている、美観地区。
その町並みはまるで金沢のような造形なのに、そう感じないのでこれはどういうことかな〜とお散歩する。
歴史ある…歴史にじみでる感じというのが、とくにないんだなあ。Uちゃんはまえに来たことがあって、そのときは
誰も人がいなくてまるでマグリットの絵みたいだったよ、という。その感じはとても正しくて、この町並みはいつの
ことで、今はいつで、ええとここはなんだっけ?と、時間軸の境目がよく捉えられないのだ。
まろやかに境界がなくなっていて、それは歴史をとくに強く押し出さない土地のありようから成っている気がした。
真夏日の昼、強烈な日差しのコントラストのもとそう思ったのだから、このまろやかさはそうとうなものだ、と思った。

大原美術館も行きたかったけれど時間がなく、そばの喫茶エル・グレコに入る。
ここはとてもとても古い建物で、壁一面の蔦に昭和初期の建物、とてもすてきな店だった。
白く明るく、アトリエみたいに天井が高い。ドアがふるい。一角に骨董とか古いアクセサリーを展示して売っている。
豊かでおしゃれでアートの根付くカフェなのに、お店のひとは近所のおばちゃん達といった様子で、身近な感じだ。
うちの母さんが働いていても違和感ない。すてきだ。
倉敷に行くひとはぜひ寄ってほしいなあと思う、いいお店だった。


夜に徳島の阿波池田に着き、Kさんに再会する。
彼女の変わらなさはのびのびと、まだ移住したばかりの慌しさとともにそこにあって、笑ってしまう。
もうすでに暗く閉まっている商店街、ぽつぽつ灯る居酒屋のひとつに入り、お酒とごはんをたべた。
圧倒的に山があり、裾にある街。都市の利便とはかけ離れた、街灯もままならない田舎町。
倉敷といいここといい、なんだかおもしろいところに来てしまった。
宿もうまく取っていなかったけれど、(おもしろく)なるようになったのだった。
つづく。